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잡초(雑草)

 作詞:羅勲児 / 作曲:羅勲児

≪市販DVDバージョン≫
怒涛のような、前半のライブが、前曲「고향역」で無事終わり、羅勲児を除いては、しばしの休憩のようなステージである。
楽団はリズムセクションを除いてはお休みで、男女バックボーカル陣も舞台裏に消えている。彼らは衣装の着がえもあるのだろう。
上着を脱ぎ捨てただけの羅勲児は、すぐに歌うのだから、並みの体力の持ち主ではない。しかも、子供バックダンサーのイントロ時には、ずっこけて、舞台上を転がって見せるのだから、元気そのものだ。
会場全体が、落着いた、和やかなムードになっているのに貢献している。

ここからは、仕切りなおしで、後半部分の山場、「봉선화」と「」への第1歩目、となる。

今曲、「잡초」は、今までのコンサートライブで、演奏され なかったことは、ほとんどない、といっていい、くらいにおなじみの曲だ。
軽快な乗りやすいリズム、親しみやすいメロディ、歯切れのいい、歌いやすい歌詞、など、ヒット間違いなしの要素をたっぷり含んでいる。
時には、賑やかなお祭りムードのエンディングとして、使われたりしているが(2003年9月の「코스모스 핀 밤」ライブコンサート)、
個人的な好みでは、元曲CDにもあるように、女性スキャットをフィーチャーした大人ムードのほうが、曲調に合っているような気がする。

まだ、羅勲児が日本に来ていたころに、毎日放送テレビの深夜番組、「乾杯トークそんぐ」に、よく出演していたようだ。
1991年7月11日放送では、本曲、「잡초」を、歌詞の1番は日本語で、2番は韓国語で歌っている。バック音楽はカラオケで、やはり、スキャットが入っていて、ムードたっぷりで、お酒に合いそうだった。
(日本語の作詞は新たに、日本の作詞家が、一から作ったので、原曲の歌詞には程遠い内容になっていたが、日本で売るには仕方がなかったのだろう)
番組の中で、韓国の演歌と日本のとの違いを聞かれ て、羅勲児は、「キムチとたくわんの違い」、とか言って、笑いを取っていたが、本音は、その後に言っている、「99.9%は同じだけど、ほんの少し、違いがある。そしてそれは何か分からない」、だろう。
また、故郷の歌についても、「日本は大抵、北の方にある、寒い故郷を歌っているのに対して、韓国では、逆に南の方の、暖かい故郷を歌っているのが普通」、と言っていて、曲調の違いがある、というニュアンスの事かな、と思ったりもした。
本コンサートでは、故郷の歌が4曲あるが、確かに、暖かいほうに帰っていく、という雰囲気が感じられる曲が多い。
そして、韓国語の歌は、やはり、韓国語で聴くのがいい。作曲の部分で、詩に合うように作るからだ。
韓国語と日本語の発音は似てはいるが 、やはり違う。韓国語の、いわゆる、激音と、濃音は日本語にはない。
羅勲児の歌も、あたりまえだが、歯切れのいい、メリハリの利いた、韓国語が一番だ。

(参考直訳)
・・・・・
だれも訪ねては来ない 厳しい風が吹く丘の坂にある 名も知られていない雑草たちよ
一輪の花でもあれば 香気でもあるはずなのに
あれもこれも 何もない 雑草たち
足でもあれば あなたのところに 訪ねて行けるのに
手でもあれば あなたを 呼び招くことができるのに
あれやこれやの 豊かなものが何もない 持てるものが何もない
だれも訪ねては来ない 厳しい風が吹く丘の坂にある 名も知られていない雑草たちよ
一輪の花でもあれば 香気でもあるはずなのに
あれもこれも 何もない 雑草たち
・・・・・
(2016年1月12日:美辞麗句)

≪テレビバージョン≫
前曲の興奮が冷めやらぬ中、雰囲気がガラッと変わるアップテンポの曲。

イントロは子供ダンサーたちのバックコーラスから。息抜きの演出か。

羅勲児は、その曲その曲の曲調に合うように最適な歌い方ができる数少ない歌手。

演歌、ロック、バラードなどで、こぶしの有無、高音の発声法の違いがみられる。それが絶妙にその曲にマッチしている。

(2015年9月26日:美辞麗句)
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