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그때 그 사람(その時その人)

 作詞:沈守峰 / 作曲:沈守峰

≪市販DVDバージョン≫

前曲、「What a wonderful world」のリズム、音程をそのまま受け継いだ形で、おもむろに曲が歌われ始める。

バックのシンセサイザー(これはあらかじめ録音されていたのを流していると思われる)のコードが変化するのがはっきりと分かる。
明るい音調の前曲から、うってかわって、重々しいマイナー調(ブルースに多い)に移る。

当時(2005年)では、27年前(1978年)になるが、「新しいトロットの誕生」と称された、大ヒット曲の登場だ。
羅勲児のこの選曲に、ひょっとすると何か理由でも、と思い、ネット上を半信半疑で調べてみた。
すると、ありましたよ。この曲を作詞作曲し、そして歌った、심민경(本名です)と、彼女のデビュー前に会っていたのだ。
大学生だった彼女の歌を聴いて、感心し、レコード会社に紹介していたのだ。1975年の事だ。

残念ながら、レコード会社は、とても売れるとは思わず、レコード発売には至らなかったようだ。
しかし、その3年後の1978年に、彼女は、MBCが主催する、カレッジ・ミュージック・コンテストに参加して、世間をそしてメディアを驚かせた。
その時の演奏は、ピアノの弾き語りに、オーケストラが加わったもので、アマチュアにしては、えらく本格的に見えたものだ。

特筆すべきは、その曲の中間のピアノのソロだ。
これが、かなりジャズっぽいのだ。ジャズの影響を受けた演奏スタイルだ。メロディーもリズムも、実に親しみやすく、すぐに、レコード化されたのは言うまでもない。
羅勲児が、今コンサートで、ジャズバンドをバックに歌ったのも、偶然ではなく、やはり、この曲に合っている、と思ったに違いない。

(このMBC・カレッジ・ミュージック・コンテストの模様は、以下のURLで、確認できます。よろしければ、御参考にどうぞ。)
https://www.youtube.com/watch?v=BqtRO_Pmyxg

さて、余談だが、この曲が終わり、羅勲児が観客に向かって、少しの間、話すのだが、最初の2分間ぐらいが、DVDやTVバージョンでは、カットされている。
まあ、この部分は、カットしないと、映像と合わないので仕方がない。
羅勲児が、観客に、「사내」での、自身の歌い出しの間違いについて、謝罪しているのだ。
「申し訳ありません。少し早く出てしまいました」という意味の事かと思われる。「죄송합니다」を、連発している。やはり、気にしていたみたいだ。
新曲だし、言わなければ分からないのだけど、プロとして、許せなかったのだろう。
こんなところにも、誠実な人柄がよく表れている。

(参考直訳)
・・・・・
雨が降れば 思い出してしまう あの人
いつも 口数が少なかった あの人
恋愛の悩みを ひそかに 心に秘め 立ち去った人
忘れられずに 泣いた あの人
とある日に 車の中で 尋ねたよね
この世での いちばん悲しいものは なにかと
愛より もっと 悲しいのは 情だと
うなだれていた あの時の あの人

寂しい病室で ギターを弾いて なぐさめたりして やさしかった 愛しい人
さよなら という たった一言もなく
今は どこで 幸せにして いるのだろうか
たまに 一度くらいは 思ってくれているのだろうか
今でも 会いたい あの時の あの人と

孤独な わたしの心に なにげなく 近づいてきて いつでも 思いやってくれた やさしい人
だから 憎んではいけないよ もう一度とも 思ってもいけないよ
若さがなせる愛だったのよ
今となっては 忘れなければいけない あの時の あの人
今となっては 忘れなければいけない あの時の あの人
・・・・・
(2016年2月23日:美辞麗句)

≪テレビバージョン≫
前曲から引き続いての演奏で、韓国伝統の曲に移る。

このような、ポピュラーな英語の曲から自曲へほぼコード進行を変えずに移る手法は、ライブで羅勲児は何度も行っている。

最近のライブコンサートでは「ダニーボーイ」から「18歳のスーニ」が思い浮かぶ。
こういう遊び心というか茶目っ気が羅勲児にはある。
今回も「どうだ」と言わんばかりに歌い始めている。

中間でやっとGary Thomas(サックス)の出番が。ここぞとばかりにアドリブ演奏を披露する。
羅勲児もエンディング部分ではジャズ・スキャットを披露している。かなりのジャズ好きなのではないか。
曲が終わった後の、満足げな表情。

ここで「アリラン宣言」をする。これからは「アリラン」を歌っていくと観客に対して誓う。
「光復60周年記念コンサート」にふさわしいコメントとなる。

(2015年9月26日:美辞麗句)
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