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(コーン,空)

 作詞:羅勲児 / 作曲:羅勲児

≪市販DVDバージョン≫

圧巻の前曲と同様に、民俗伝統楽器を中心とした伴奏で、しっとりと、淡々と、訴えかけるように、羅勲児の歌が始まる。
歌いっぷりから、この曲に対する意気込みが感じられる。
本来なら、盛上げ方からみて、前曲「봉선화」が、コンサート後半の最後のはずなのに、あえて、この曲を、挿入したということは、いちばん歌いたい曲は、いちばん伝えたい曲は、こちら、という扱いに思える。

(歌詞について)
メッセージ性の強い本曲、取りようによっては、大胆な部分が歌詞のなかにある。
君も、僕も、みんな、阿呆、愚か者、間抜け、というところだ。
「어리석다」(おろかだ)と、「바보」(阿呆)の、韓国語が使われている。
この2語、特に後者は、きつい言葉だと思うのだけれど、どうなのだろう。
自分の事だけだと、いいのだけど、あなたも、みんなも、となっていて、いいのかな、と思ってしまう。
このコンサートが、光復60周年記念なので、なおさらそう感じる。
逆に言えば、それだけ、インパクトの強い、曲にはなっているのだが。
歯に絹を着せない羅勲児らしい。

誰しも、「自分は今まで何をしてきたのか」、とか、「自分はなんと愚かだったのか」、とか、考えることは、一度ならず、あるわけで、そういった意味で、万人が共感する詞を持つ曲のひとつ、と言える。
この時点での、羅勲児の、人生観、人生哲学、を表現している、と言っても、的は外れていないだろう。

(CDアルバム「」について)
2003年発売のCDだが、そのパッケージ写真を始めてみたときに、衝撃を受けた。
一種異様な、羅勲児の顔の表情に、尋常ではない何かを感じる。
表情が、きつい、厳しい、を通り越して、憤怒の形相なのだ。
正直、怖いくらいに、カメラを凝視している。もちろん、アルバムに収録されている曲のイメージを、表現するための、意図や企画、なのだろうけど、それにしても、すごい表情をしている。
想像だが、ひょっとすると、この当時、羅勲児の心境に、大きな変化が起こったのかもしれない。
でないと、いくら演技でも、こんな形相は、とても出来ないのではないかと思う次第である。
参考:2003年発売のCD「

(参考直訳)
・・・・・
生きているうちに分かるようになる 口に出しては言わないけれど
あなたも 自分も みんなすべて 愚かだということを
生きているうちに分かるようになる
分かっても 笑みがこぼれることはない
私たち みんなが どれほど 馬鹿のように生きているのかを
つかの間の 通りすがりの人生 つかの間 とどまる この世
百年 生きるのも 難しいのに 千年も 生きるかのように
生きているうちに分かるようになる 捨て去るという意味を
自分が持っているものすべてが つまらないものだということを

生きているうちに分かるようになる 分かりたくないけど
あなたも 自分も みんなすべて 愚かだということを
生きているうちに分かるようになる 分かっても すでに遅いけど
それなりに 生きるに値する 世の中だということを
つかの間の かすめては去る 青春 ひらりと 過ぎ去ってしまう 歳月
百年 生きるのも 難しいのに 千年も 生きるかのように
生きているうちに分かるようになる 空にするという意味を
自分が持っているものすべてが ただの夢だったということを
すべてが ただの夢だったということを
・・・・・
(2016年5月4日:美辞麗句)

≪テレビバージョン≫
前曲の余韻が残るステージで、休む間もなく次曲の始まり。

今回は十数名の韓国琴奏者がゲスト。
左右の舞台袖からの移動舞台に乗って登場。
イントロ部分を連弾で奏でる。
ここで羅勲児は韓服上着を1枚取り去る。気合が入った証拠。

身振り手振りを交えて「空」を、観客に語りかけるように歌う。
常に絡まる琴の連弾と、前曲に引き続き、奏でる民俗楽器奏者たちの音色が交わり、少し厳粛な味わいが出ている。
中間部とエンディングはあたかも琴奏者たちと掛け合いを演じているかのよう。

カメラワークも、この部分を上手く捉えている。
このライブを通して、何度目かの満足そうな羅勲児の表情。

後半部分のエレクトリックベースも地味だが曲を盛り上げている。

このライブで特に感じるのが脇役陣の活躍。
ただでさえ上手な羅勲児の歌唱をいっそう盛り上げている。
(2015年9月27日:美辞麗句)

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