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羅勳児の自分決定権
今週、本を一冊読みました。「人対人」というタイトルの本です。
ある精神科医師が今の時代の人物を心理的に分析した本です。
ここで私は ‘神聖な利己心’と通じる概念一つを見つけたが,それを著者は ‘自分決定権’と表現していました。
自分の決定権とは‘私が願う私の姿’や ‘私がしようとする事’を私の意志どおり自由に決めることができる力です。
そして著者はこのような自分の決定権を極度の節制力を持って駆使することができる人がまさに歌手羅勳児だと言います。
著者の言葉によれば
羅勳児は自分の分野で ‘最高’というイメージを持つ為に絶えず努力する人です。
国民の政府がはじまって服ロビー聴聞会の時は長官達の奥様方が団体で '羅勳児ショー'を見に行った事実が物議に上がったりもしたが,上流層の人々にも彼の公演チケット一枚が '使うに値する賄賂'になるだけ羅勳児は '最高'のイメージを持っている人という事です。
去る1996年羅勳児は一放送局の '羅勳児ショー'でダイヤモンドがふさふさと付いた 10億ウォンの服を着て舞台に立ち、我が国のテレビ史上一番高い衣装を着た歌手という記録を保有するようになったが,それに対する批判に対して羅勳児はこんなに言ったと言います。
"私はそれが当たり前の事だと思う。私の歌を聞く人々に最高の姿を見せるのが礼儀だからだ"
羅勳児は '羅勳児 = 最高'というイメージを作るために徹底的に自分管理をすると言います。
あるTV番組で解説者は羅勳児の自分管理をこのように描いています。
"羅勳児、その人気の裏には、放送出演を極度に慎んで絶対自分を露出させないことで大衆に知りたい事と神秘感を催す徹底的なプロのイメージ管理が隠されている"
羅勳児の自分管理を '神秘主義' の戦略とまで言うことができると言います。
彼は自分が主導するコンサート舞台を除いては、ほとんど姿を現わさないらしい。
だから公演時間外で羅勳児を見る事はほとんど不可能だと云います。
自分管理のために彼は病的な程に閉鎖的に暮すらしい。飲み友達に会いに出かけることもなくて,人目に付く飲食店やカフェーで約束をする事もないし,自分の私生活を公開する事もほとんどないようです。
彼は自分を現わさない生活が続いてみると一人で遊ぶ方法を学んだと言います。一人でメロディーを構想して本を読んで残る時間には絵を書く為に,絵を始めたことも自らを管理するためだと言います。
"大きい公演を終わらせた後に押し寄せる歌手の寂しさは舞台に立つ本人だけに分かる。その寂しさをなぐさめるためにお酒を飲んで別のことをするようになれば私の体が磨り減るばかりだ。だから私は公演を終わらせて家に帰って来て狂ったようにキャンバスを埋める。"
彼は又、凄い読書家だと言います。大衆スターになることができる人は多いがこれを維持させて行く能力まで取り揃えた人は少ないのに 30年以上をスターとして君臨することができた理由に対して羅勳児は読書の力だと言っている。 このすべての姿が羅勳児が自分を大韓民国最高の歌手にイメージメイキングするためにどんなに自分決定権を駆使するかと言うことを見せてくれています。 自分のイメージに役に立たないすべてのものはきっぱりと断ることができる意志と力があるということだから、それが羅勳児の自分決定権というのですね。 羅勳児はデビューしてから 35年が過ぎたが彼の 'スター性'は少しも搖れないでむしろ時間が経つほど堅固になっている。この不可思議な人気の源泉が想像を超越する '羅勳児式自分決定権'に有るということです。
他にも羅勳児の自分決定権はいろいろ有ると言います。例えば
“インタビューを受けない”
“声だけしか出ないラジオ放送に出演する時もきちんとした服装をする”
“TV 娯楽番組には絶対顔を出さない”
(羅勲児は放送界では一度 '浮かんだ' となれば視聴率が保障される保証小切手で通じるから一回に1億以上の出演料を提示して '迎えて' 特集プログラムをしようとしても彼は来て下さいと云うのに対してほとんど行かないと言います。)
“ どのホテルに泊っても '最高値の部屋'に泊る”
“チップを与える場合ホテル従業員全員を呼んではっきりと与える”等々。
ところで羅勳児の自分決定権が完璧に現われるのが、まず公演に対する彼の執着と努力だと言います。
2時間の公演をほとんど一人で企画・演出・出演しながらおびただしい物量を降り注いで骨折る演習を通すと言います。
そのおかげで彼の公演スタッフたちは毎度あごを出す(クタクタになる)と訴えます。
羅勳児は '完璧な準備'をする数少ない大衆芸術家の中の一人だと云える。
彼と一緒に仕事をした事が有る人々が異口同音にする言葉があると言います。 羅勳児は渉外が誰よりも難しい歌手だが一旦舞台に立ったとなれば彼の表現どおり死に物狂いで脂汗を流しながら最善をつくすというのです。
人は誰も他人に取り出して見せたい '私の姿'があるものと決まっていて、それが '理想的自分(Ideal Self)'です。
羅勳児の '理想的自分'に向けた執念は力強くて確固です。
'理想的自分'に向けた自分の決定権は必要な能力と意志が隋伴されればこそ生命力を持つことができる。そんな点で彼の自分の決定力は驚くべき程なのです。
大韓民国最高大衆歌手というイメージを維持するために羅勳児が注ぐ努力はいわゆる禁欲主義者の水準だと言えます。
資料出処: スムビッヒャングギ (日本語訳:byおおきに2010.1.15)

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