揺るぎないスター性、羅勳児は巨星だ

画像付原文はこちらですが、そのサイトがなくなると見れなくなります。)

[マネーTODAYスターニュース] 2007年 10月 03日(水) 午後 4:44

 ある 50歳代の中年女性の誕生日の光景。
もう血管の様に気楽なだけのご主人は、男として胸がわくわくした記憶は遠くにぼうっと霞み、ママの誕生日だと子供達が特別に準備した外食の席に、引き続いて家族カラオケ。
子供達の声援に負けた振りをしながらご主人が立ち上がり、マイクを握る。
"この世の中に一つしか無い、二人といない私の恋人よ。見てまた見て、また眺めても飽きること無い私の人よ♪雨降る夏の日には私の胸は傘になり、雪降る冬の日には私の胸は火になろう♪"(皆様ご存知の「サラン」の歌詞の一部です:おおきに)
 たとえカラオケ室内は「鳥肌」と焦土化されていようとも、聞いてからは,もうご主人の後頭部だけ見ても再びときめくようなセンスある選曲ではないかと思う。

 特に長かった今年の秋夕連休。
ご挨拶する年寄り達は皆、異口同音にする話が二つが有り、 一つは
 "あんた、本当に夫の家へ行かないの?"
そしてもう一つは...
 "羅勳児ショー、またしないのかい?"...
二つとも約束ない返事だから笑ってしまったが,筆者もその答があまりにも分かりたい質問だった。
 TVから溢れ出る特集を見ていて、一昨年の今頃、秋夕特集で準備した '羅勳児のアリス'というプログラムを思い出した。
 下の唇をかんで眺める特有の表情、折る(コブシを効かす)唱法とカリスマあふれる舞台マナー、世界最多ヒット曲保有者、800曲以上の自作曲を出したシンガーソングライター、大韓民国歌謡界の生きている伝説、歌謡界の巨匠、巨木、神話、巨人、歌王、音師。
羅勳児という名前の前に付く修飾語は限りがない。

 去る2005年9月秋夕、韓国MBCテレビは 2001年、2003年に引き続き '羅勳児のアリス'という大型ショーを国民の前に困難な(抽選の形で)プレゼントをした。
 無料公演と言っても、申し込んだ人員だけで何万人を超えたし,当選の基準になった申し込み理由や事情を読んで見れば彼が神がかり的な存在ではないかと思う位に一言文句すべてが公演を見ようとする心が切実である事が分かった。
 そうなのだ!羅勳児の公演はまさに贈り物だった。普段感謝している方々に、何を差し上げればよいかと選びに選らんで心を伝える名節(韓国固有の盆・正月)の贈り物。羅勳児の公演はどんな名節の贈り物よりも大人たちを嬉しがらせる最高の贈り物だ。
 しかし悲しいかな、この贈り物は放送局が願うからといって、いつでもお金を払って買って渡すことができる贈り物ではない。ここで羅勳児の揺るぎないスター性も如実に現われる。
 秋夕節日を一、二月後に控えた頃なら、各放送局では秋夕特集羅勳児の公演に対する論議が慎重に出ると言う。今年公演をするかな、どの放送局が、どのプロデューサーにするかな,今年もMBCでするか、等々。決まった事は何もなくて誰も分からない。ただ、公演の主人公である本人だけが知っている。
 羅勳児はどの放送を通じても、どんなレパートリーで、どんな舞台で歌うかどうか、に対して、本人が全て決定しても、快く受け入れられる歌手だ。それは、彼が永年の人気を享受してファンも多くて、視聴率が保証されそうだというだけではないだろう。
 放送局は羅勳児の公演で大金を儲けるのでも無く、むしろ何億ウォンも掛かる大型ショーと大きい負担になるにもかかわらず機会さえあれば、皆、彼を求める理由は何か?

 そこには羅勳児の徹底的な 'スター論' が隠れている。1年でも 10年でも やらないとなればやらないだろう。歌手として最高の姿でなければファンの前に出ないのが彼の哲学だ。
 筆者もまた単純に、伝統歌謡界を牛耳する有名な歌手だとだけ知っていた彼を '羅勳児のアリス' というプログラムに関わって、『しばしば簡単に言う 'スター'』の意味がどれくらい難しくて真正さを要するのかを自ら感じたし、こんなスターが我が国にいて、いつかは彼の歌と公演に出会えるという事実に心より感謝するようになった。
 彼の堂々としたスター性の中には、絶え間ない努力と熱情だけでなく、骨身を削る自分の忍耐で成したイメージ管理と「最高」のみに固執する自尊心が隠れていることを見たからだ。

 2005年9月、アリス公演の主人公である彼に会うために、ハイアットホテルへ向かった日を思い出してみる。
'大型ショー'演出で有名なMBCソン・スンジョンPDと共に行く時さえ、筆者はただ、「うちの母さんがその名前だけ聞いても拍手する大好きな伝統歌謡の巨匠にお目にかかるんだな」、それが全部であった。
 ホテル一角の廊下を歩きながら、約束場所へ向かう間に、既に2度も彼の公演を演出したPDも、公演唯一のゲストで当時サムスンで最高の人気を享受していたキム・ソナと彼のマネジャーさえも私にひそひそ質問しながら歩く、なぜか用心深くて緊張したその雰囲気が筆者はいぶかしかった程無防備状態で気楽な気持ちだった。
 だがその心は羅勳兒を直接見た瞬間10秒後に崩れた。
席から立って、私達を迎える姿で筆者はすでに普通の人でないことを直感した。
 明確に私に向かって気楽に笑って下さったにもかかわらず生まれて初めで芸能人の前で震える緊張ということを体験する瞬間だった。
多分その日ミーティングがあったので会社に戻った後、それこそどれほど誠心を尽くして公演のイントロを作ったことか知れない。
 白いトゥルマギ(韓国外套)スタイルの衣装でふかれて出る時、堂々とした態度で無ければならない事と、公演のために育てている頭(少し伸ばして後ろで束ねた初めての髪型)があまりに荷が重くて大変だ、と豪快に笑うその姿は明確にスターが吹きだす'オーラ'であった。
その後にも練習と会議などで何回も出会いを持ったが彼が公演を準備するにあたって一つでも手を抜く姿を見たことはない。 その徹底さは到底言えなくて何十年も歌ってきた歌でもオーケストラ伴奏を合わせながら、歌一曲一曲に注いた努力はまるで新人歌手のような練習量に匹敵するだろう。
 60の年齢でも裂けたジーンズとチョルティを着て飛び上がりながら歌っても舞台の絵が芸術になってくるのは彼がどれほど絶えること無く自分の管理に努力したかを如実に見せる。
 羅勳兒は公演の全体的なコンセプトをすでに頭の中にぎゅっと満たした状態で、演出者の新しい試みや音楽的レパートリーに対する意見を受け入れるから、意思疎通が洗練されてその完成度もまた高くないはずがない。
 ポップソング,ロック,ヒップホップ,いかなるジャンルと接続させるのにもためらわない、歌に使われる楽器が電子チェロになろうがフルートになろうが,ハーモニカ,へグム(琴)が混ざろうがいかなる旋律も自分だけの色でよく溶かされて新しい羅勳兒印の歌に作り出す能力を持っている。
 先日、旧盆が過ぎた次の日だったか、突然彼の公演がとても懐かしくなってDVDで歌を聞いて、秋夕の挨拶を兼ねてソン・スンジョンPDを訪ねて行った。 色々な話の中で偶然に、羅勳兒氏が筆者の安否も尋ねたというのを聞いて駆け回るほどにうれしかった。
 その喜びを再確認しながら、2005年ハイアットホテル近くに位置した彼の事務室で逢った思い出を思い出してみた。 ピアノを自身で弾きながらキム・ソナのデュエット曲を一つ一つ捉えて練習させてくれているうちにふと,雨がしとしと降る窓の外を見ながら,彼が口ずさんだ言葉だ。
"こういう日は遊びだ。 安物のコプチャン屋(内臓、ホルモン屋)で気楽に焼酎一杯やれば本当の話,本当にピッタリ合うんだから"
私達は同時に "良いですよ、 先生! 今すぐ行きましょう" と笑ったが、その後に微笑みながら,静かに続いた彼の一言。
 "私がお隣りさん、町内のおじさんで どこででもありふれているように見られればそれはスターがではない。"
皆が伝統歌謡をトロットやポンチャックだと言って、ただ昔の歌だとさげすむ時、トロットと云う言い方は私たちの歌に合う言葉でないから'アリラン'と呼ぼうと主張する事をためらわなかった羅勳兒。
 数多くのジャンルを合わせながら,伝統歌謡の水準を高めて,騒々しい広報がなくても公演会場全席が売り切れて,TVに顔一度写すことがなくてもその人気はすごくて,ファンたちと巨大な音楽世界で疎通する羅勳兒。
 彼は明らかに巨星だ。 次の秋夕には彼の公演会場でおばさんおじさんらが幼い子供たちのように団体で泣いて笑いながら歌った珍しい風景をもう一度見ることになるのを切実に望む。 そして生きる事にしばらく力が抜けるような日には彼の歌で'アリス'と'男(サネ)'を聞いてみるのをお勧めする。
[マネーTODAYスターニュース:崔正弦 放送作家]
【日本語訳:byおおきに2007.10.5】

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