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入力: 2021-12-11 11:17:07 修正: 2021-12-12 16:30:09 ナム・ユジョン記者 honeybee@busan.com
赤字は羅勲児さんの言葉です
10日からベクスコで3日間,計6回公演。観客の前に立つ羅勲児。「コロナパンデミック」について言及し、
故郷の釜山で公演することは有意義です。防御徹底すること
(歌手の羅勲児は、10日から3日間、釜山海雲台のベクスコ第一展示場で「羅勲児・アゲイン・テスヒョン」を開催します。藝我羅藝ソリ提供)

《 羅勲児 2021年12月 釜山公演 》

「公演をするから『羅勲児、あいつ 金を無くしたか』という良くない反応が有ったのを私は知っています。
ところがコロナ19以降(収入が途切れて)公演関係者たちが大変で、死んでしまうんです。
私がこれをうまくやれば、他の人達も気をつけてうまくやれないものでしょうか?」

白い衣装でステージの中央に立つ歌手羅勲児は、聴衆にこのように言った

10日午後2時、釜山の海雲台区にあるベクスコ・第一エキシビションで開催された「羅勲児・アゲイン・テスヒョン」
この日、彼は最近のコロナ19拡散の勢いに、憂慮の声が出るのを意識して、公演中、途中「しっかりして!」と防疫を強調した。
羅勲児は「私の故郷は釜山東区草梁2洞452です」「別のステージに行けなくて、故郷の人々は私に会いたがっていました」と言った。
そして「今日は口を開くと唾が跳ねるので、口を閉じて『うーん』で代わりにしましょう」と繰り返し念ごろに呼び掛けた。
一列づつ間を置いて座った観客4,000余名は「うーん!」と「拍手」で、応える代わりにした。

公演入場には、1時間近くの消毒、体温チェック、認証ARS、防疫パス確認が行われた。
現在の防疫指針では、コンサート会場に来る観客は接種完了者であるか、PCR検査陰性証明書を持参しなければならない。
ベクスコの第一展示場前では、公演開始1時間前から入場を待っている観客と、コンサート用品を販売する人達で混み合った。
北区から来たキム・スンジャさん(67歳、仮名)は「ショーを見に来るまで周りに引き留められたので とても悩みましたが、一度見たかった。声を出さずに静かに観るつもりです」と言った。

羅勲児の釜山公演は、2019年「羅勲児・青春アゲイン・釜山」以後2年ぶりだ。
毎年 全国ツアーで釜山を訪れている彼は昨年(2020年)末、公演をしようとしたが、コロナ19拡散勢が深刻になってスケジュールをキャンセルした。
(2021年)8月には「羅勲児・アゲイン・テスヒョン」というコンサートで釜山の観客に会おうとしたが、コロナの再展開でショーを延期した。
羅勲児は「2ヶ月前に大邱にたくさんの人が集まりましたが、(コロナ確認者は)一人もいませんでした」「叫び声の代わりに必ず ”うーん!” と言わなければならない」と強く言った。

この日、羅勲児は75歳の歳が顔負けする程に力強い舞台を演じた。
白いマスクが描かれた舞台の帳幕が開くと、星が青い背景の上に注がれた。
しばらくして踊り手が出て来て踊り、ステージが暗くなるにつれて天使の翼が背景に現れ、ひらひらと舞った。
羅勲児は白いスーツを着て翼の前に現れ、2002年の曲「アダムとイブのように」を熱唱した。
彼は豊かな声量とカリスマ性で 現れるとすぐにステージを支配した。

2曲目は1982年の曲「雑草」。
光沢のある黒い服を着た羅勲児が この曲を終えた時、ステージの両側からオートバイが登場した。
180度の気分転換を楽しんで、羅勲児は彼のお気に入りの曲「サネ(おとこ)」を歌った。
観客はパフォーマンスを見て、静かに拍手をして体を左右に揺りながら公演を観た。
羅勲児が1977年の曲「水車は廻るのに」を歌う時、バックスクリーンには1986年の彼が登場した。そして今、赤いベルベットの衣装で舞台に立つ白髪の羅勲児は、KBSビデオの中の黒髪の羅勲児と交互に歌った。
羅勲児は、昔を思い出すかのような目で時々映像を見た。

昨年リリースした「明子!」を熱唱した後は、ステージ上で着替えのパフォーマンスを披露。
「着替え中です」という字幕を背景にして、羅勲児は口笛を吹き、鼻歌を歌っている。
新曲「私に恋人ができました」を歌う時、結婚式の演技をし、
1994年の曲「永永(永遠)」という曲を歌った時、
「永遠に忘れられない」という部分の呼吸を約40秒間伸ばした。この時、客席の一部から叫び声が出ると、観客が注意されているのが見えた。

羅勲児は暫く歌を止めて、舞台中央に歩み出て、感激した表情で挨拶をした。
「釜山市東区草梁2洞452番地7ー3が私の故郷だから、今日はきっとこの辺で「危ないから行かんときぃ」とか「あんた、危ないのに なんで行くん?」とか言っただろう?」と彼は(釜山訛りで)言った。
そして「死ぬかもしれない事を乗り越えて来られた方々なので私達がしっかり気をつけます。全て治めて見せて差し上げます。と言った。

この日、羅勲児は両親の写真を公開し、観客から好意的な反応を受けた。
「来年には歌手デビューから55年なので、故郷の釜山で初めて写真を見せています。
あのおばさん『子を産んでわかめ汁を食べた私が迷った』と言っていた母なのに もう100歳になりました。」
と語った。
子供の頃、中区の南浦洞と東区の草梁洞のチャガルチ市場の思い出を語り、
「私は釜山なので、これらの話を全部お話します。それで?」と言って観客の拍手を受けた。

羅勲児は、この日、何度かcovid-19パンデミックに言及したことで注目された。
「最初はcovid-19だったので、『19歳以上しか飲めないビールが出たみたいだ』そして、2週間、2週間で2年が経ちました。」「皆さん、やった事が無い事をしたり、泊まった事が無い所に泊まり、行ったことが無い所へ行ってみてください。こうして過ぎ行く歳月がどれほど早いか、年月はすでに 先に去っているということです。」

「covid-19以来、パフォーマンス関係者は多くの苦労をしてきました」と、彼は今回の公演理由を説明した。
「当事者とその家族まで入れると、数十万人になる」、
「『ヒョンニム(兄貴、兄さん、年上の男性)とてもつらい。』と、死んでしまいそう。
私は力がないし、気をつけて公演を上手く開くことしかできない」
と彼は言った。

♪ここに私を一人にして下さい/あなた、私はあなたを愛しています/あなた、さようなら、気を付けていらしてね/永遠に永遠にあなたを愛しています♪

「熟柿」や「男の人生」、そして「あなた」を連続して歌った羅勲児は、しばらくして茶色のギターを持ってステージに登場した。
ショーの準備をしていて羅勲児は、彼の代表曲「或る60代の老夫婦の物語」の最後にある歌詞を変えるしかない。と思った。
「家で一人でギターやピアノを弾く練習が多く、年を取ると、この曲の終わりを歌って うつ病が起こらないか と思うと歌うことができませんでした」と告白した。
ギター絃を勢いよく弾いて歌い始めた羅勲児は、原曲「さよならハニー」の最後の歌詞「あなた、さようなら、気を付けていらしてね」のあとに「永遠に永遠にあなたを愛しています」を加えて歌った。観客は『うーん!』と『拍手』を送った。

この日、羅勲児は、自身の代表曲「熟柿」他「出会い」「青春よ還れ」、「あなたはバカのように生きた」そして「テスヒョン」等25曲を歌った。
ギターを弾いて歌詞を変えて歌ったりもしたし、ノースリーブに引き裂かれたジーンズを着て情熱溢れる舞台を飾り、観客の熱い呼応を得た。
「テスヒョン!」と「ジングルベル」のステージを終えた羅勲児は観客達を見廻して感激した様子を見せた。
羅勲児は「私が歌を歌えば どれくらいしますか?」「だから、私にはこの時間がとても重要です」と言った。
公演は予定時間より20分程長く、4時20分に幕をおろした。完

ナム・ユジョン記者 honeybee@busan.com

(和訳:Byおおきに 2022.2.22)

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