1991年5月17日,
ロサンゼルスの超一流ホテル・センチュリープラザでディナーショーを行った。
入場料は破格の三百ドル。これまで韓国やアメリカの一流歌手でも150ドルからせいぜい200ドル。「さすが羅勲児でもお客が入るだろうか」と心配する向きもあったそうだが蓋を開けてみたら超満員。 羅勲児がこれに燃えないわけは無い。アメリカの歌も交えて熱唱に次ぐ熱唱。 二時間を超すステージはあっという間にフィナーレへ。 ここで“異変”が起きた。千四百人、超満員のお客が全員総立ちでアンコールの拍手。 キャリア25年の羅勲児にとっても初めての経験という‘スタンディング拍手’に大感激。 舞台では絶対に涙を見せないという羅勲児も、その涙をこらえるのがやっとだった。感動に感動が伝染して、会場は拍手と熱唱のルツボ。 「うれしい、本当にうれしかった」何度も何度も羅勲児は繰り返して言った。 そして翌日18日は「シューラインオーディトリアム」でのコンサート。アカデミー賞の受賞式が行われるという伝統のこの会場にも六千人の超満員のお客がつめかけ、羅勲児コール鳴りやまず!! ディナーショーと合わせて、ロスの歴史に残るビッグなイベントとなった。 羅勲児はこの米国公演に韓国から30人のバンドをはじめ、50人を超すスタッフを同行した。 「今後、他の歌手はどんなショーをすればいいのか!」羅勲児のスケールの大きさに、現地ではこんな声も出ていた。 |