nahoona 羅勲児 nahuna ナフナ nafuna なふな 1998初世宗文化会館 原文:デジタル朝鮮日報 1998年11月13日
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羅勲児コンサート、20年の決心を破って世宗文化会館公演

“トロットの皇帝”羅勲児が(1998年)12月16日〜18日、初世宗文化会館コンサートを持つ

(注:赤字は羅勲児さんのことば)
 彼は世宗文化会館と悪縁がある。70年代末、世宗文化会館に貸館申請をしたが、“大衆歌手は出来ない”と面駁に遭った。数ヵ月後、アンディーウィリアムスはその舞台で公演した。「アメリカの大衆歌手は出来て、韓国の大衆歌手は出来ないと言うのかと思いました。怒りが込み上げて、これから詫びて来ても、世宗文化会館では歌うまいと決心しました。何年か後に、文化部長官がテレビに出て、大衆歌手は区民会館とか酒場で歌えばいいではないか、とまで言いましたよ。」

 (1998年11月)9日、ソウルのトンチョンドンSBS楽団練習場で会った羅勲児は“その時、自分自身とした約束を20年ぶりに破ることになった”と言った。意地っ張りで名が通る彼は実際、世宗文化会館が大衆に門戸を開いた後、何度も公演依頼を受けたが断った。

 今度の公演も、周りで「事をやらかして」達成された。羅勲児は「興行保証小切手」と呼ばれる。毎年、何十回ずつ公演をして、いつも売り切れる。真剣な舞台マナー、観客を圧倒するカリスマ。それなのに、世宗文化会館は頑なに背を向けるので、ファン達は惜しがった。

 側近達は去る10月,羅勲児がアメリカへ行った隙間に「叱られるつもりで」公演を取ってしまった。人も代わって世も変わったから、いつまで意地を張ることかといいましたよ。彼は「私もファンと良いコンサートホールで会いたくて思い直した」と言った。

 屈折を体験した舞台なので、意欲も大きい。「幼い昔の思い出の歌からこの頃の曲まで皆広げてみせようと思います。人毎に聞きたがる歌がちょっとづつ違っていて、どの曲を選り抜くべきか苦悶です。」

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 羅勲児はソラボル芸術高校2年の時、「愛は涙のたね」でデビュー、33年間に1600余曲を発表した。「ヨンヨン」「サラン」「ムシロ」「チャプチョ」「カルムリ」「ウルギンウェウロ」「モナモンコヒャン」「ムレバンアトヌンデ」のように親しみ深いビッグヒット曲だけで50曲を超える。公演ではこれ等の中の25曲ほどを歌う計画だ。

 彼は普段、新聞やテレビに顔が映ることを極めて避ける。新聞インタビューもこの3年だけだ。「大衆スターは夢を売る人です。根堀り葉堀り暴いて見えれば幻想が壊れます。舞台だけで会うから公演に観客が殺到するのだと思います」

 羅勲児は52歳だけれど、エネルギーが溢れていた。横手で拍子を合わせ、曲を説明して、ポップオーケストラと3時間余り練習に取り組んだ。半袖シャツの下の銅色の腕は堅く見えた。点々と白い頭と顎ひげだけに年月が埋めてある。「30年間一緒に来たファン達がいるが、真っ黒に染めて、若ぶるけれど、むしろ、疎ましくはないか?」と笑った。

 コンサートに先立って新しいアルバム「私の人生涙で充たしても」と、「歌クリニック」ビデオも披露する。

(日本語訳by「おおきに」)

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