原文:朝鮮日報、スポーツ日報 2000年2月24日(木)
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赤字は羅勲児さんの言葉

「羅勲児、来月コンサート」
“私はまだまだ、イキイキしています。お兄さんと呼んで下さい”

 羅勲児は54歳だが、エネルギーが溢れている。カーキ色の空軍操縦服に包まれた体は堅く見えた。点々と白い染めていないそのままの頭と顎鬚さえなければ年を見定めにくかった。彼は普段、新聞、テレビに顔が映ることを口を極めて避ける。“夢を売るスターがマスコミにしょっちゅう載れば、幻想が壊れる”という理由からだ。
 去る20日(2000年2月20日)午後、亜細亜レコードスタジオ。一年半ぶりに会った羅勲児は逆さに年を取るらしかった。若くなった、と挨拶すると“そうですか?5年後ならもっと若くなると言うことだね”と冗談で受け止めてカラカラ笑った。 たばこを止めてから11ヶ月経ちました。その代わり、毎日、二時間づつ早歩き運動をしているので、こんなに体が軽いことはなかった”
 羅勲児を知る人なら驚く話しだが、彼は歌謡界で噂が立つヘビースモーカーだった。一日に3箱吸った。“飯は何食抜いても煙草が無いと駄目だ”と口癖のように言っていた。余りにも頑固な性質で名うての人だから、一度思い立てば出来ない事も無いと思うが、理由が知りたかった。
 “この職業でなければ吸い続けただろう。いつからか、数日続いて公演をすると、体がどっと疲れるではないですか。「あっ」と思いましたね。人々は絶対病んだ歌を望みません。まず、私が健康なら、音楽も健康でしょう?ファン達が私を見て「羅勲児はいつも、とてもいいね」と聞けばもっと嬉しくなるじゃありませんか?”
 彼は新聞、放送に出ないが年中公演がびっしりだ。去年国内だけで30回余りコンサートをした。日本で15回、アメリカ2回遠征公演もした。「興行保証小切手」というあだ名のようにいつも売り切れだ。
 羅勲児は来月新しい挑戦をする。3月24日、25日の二日間、夕方、ソウルオリンピック公園フェンシング競技場でコンサートを開く。一回4500名づつ、9000名を集めなければならない。トロット歌手が体育館で大型有料公演を試みるのは初めてだ。大人は世宗文化会館とか、ホテルのように雅な公演場でなければ活動しないというのが通説だからだ。
 “負担にならないです。6年前から毎年2万人入る日本の大阪城ホールでコンサートをしました。日本の演歌歌手達も考えないところですが、私の公演は毎回いっぱいになりました。若い歌手達だけがそういうところで歌うという法律がありますか?体育館であれ、野外であれ、私達大人の公演も自由にならなければならないと思います”
 公演する内容をこっそり当たってみると、いつものように“来てみればわかる”と口を噤む。
羅勲児はソラボル芸高2学年の時、デビュー。35年間に「ヨンヨン」「サラン」「ムシロ」「チャプチョ」「愛は涙のたね」等1600余曲歌った。それでどの歌を歌うか苦悶という。“公演だけで会うから、観客が余計殺到する。そうであるほど、新しい舞台を見せるために悩みます”

(日本語訳by「おおきに」

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