羅勳児,活動中断 '積もる疑問'
画像付原文はこちらですが、そのサイトがなくなると見れなくなります。)
同時期の他の記事の内容も加えてあります。

[スポーツ朝鮮]2007年2月20日(火) 午後 12:03

韓国大衆音楽の永遠なるトップスター羅勳児が突然活動を中断して連絡を断っていることがわかり、その背景に関心が集まっている。
これは単純な潜伏を通り越して、引退説、離婚説にまで拡がって彼を愛するファン達に衝撃を与えている。

 歌謡界では、彼が 10年以上、一年も欠かさず旺盛なコンサート活動を広げて来た事をあげて、余りにも突然な '異常気流'に触覚を逆立てているといった雰囲気だ。
 引退説にまで広まっている羅勳児の潜伏は、最近ある放送社芸能局 プロデューサーが渉外のために連絡をしてみて初めて明らかになった。
羅勳児自身が設立してからずっと維持して来た我羅(アラ)企画の代表電話が特別な理由も知らされず変更され、事務所は暫定閉鎖された。
ソウル南山ハイヤットホテルの近くに有るこの我羅企画はコンサートとアルバム製作に係わるすべてのことを管掌して来たという点で、事実上 1人企業で通じる '羅勳児号'の分身とも言える会社だ。
 潜伏、引退説は、来る 3月世宗文化会館で予定された '羅勳児コンサート'が“一身上の理由”で 取り消しされたことに起因している。
我羅企画は三日間の公演のために 3月 16日から 19日までの四日間世宗文化会館大劇場の貸し館申し込みをした。しかし貸し館料の 50% 以上も支払った契約金数千万ウォンをあきらめてまで公演を取り消した。“公演系で世宗文化会館貸し館申し込みは競争が熾烈でこれをあきらめることは異例的なことだ。増して契約金まで支払った後公演が取り消しされたことは異例的なこと”と会館側は言う。
 そして羅勳児は最近側近に理解できない余韻を残したということが言われている。
彼は 『頭が痛い事が多くて今年はすべての活動を控えて休みたい。来年からまた活動する』と言う言葉だけ残して連絡を絶ったことがわかった。
 変な気流が漂っていることに対して放送界のある関係者は “ちょっと複雑な事があるようだが公演を取り消した背景に対しては正確に分からない”と言う。又歌謡界のある人は "羅勳児さんは普段でも同僚歌手たちと連絡が余りなくて外部活動もしなかったが, 最近は連絡が全くとれない"と言った。
羅勳児の離婚説さえたまに頭をもたげているが、彼をよく知る周辺の人々は 『あまりにも私生活がベールに包まれていて確認が易しくないが・・可能性もある』と言っている。
しかし羅勳児は 1985年 、14歳年下の後輩歌手丁水卿さんと結婚し、それまではスター級程に人生歴程が多かったが、結婚後は睦まじく平和な家庭を築いてきた。このために余計に衝撃的に受けとめられている。
 羅勳児は土俗的な音色とダイナミックな唱法、無骨だが情熱的で野性的な舞台マナーで女子高生から中年ファンまで幅広い愛を受けている。特にトロット歌手では珍しくシンガーソングライターとしての能力を見せて、幾多のヒット曲を作り出した。『カルムリ』 『ムシロ』『雑草』『永遠』 などは彼が作り出した国民の愛唱曲たちだ。( 金インク記者 )
【日本語訳:byおおきに2007.2.22】

羅勲児ホームページTOPへ