以下の雑誌記事は1988年3月、羅勲児後援会会長・野沢あぐむ氏が直接羅勲児さんにインタビューして、執筆されました。
羅勲児後援会機関紙<我羅通信>増刊号、好っきゃねん!!羅勲児(1996年発行)にも掲載されています。
尚、羅勲児後援会は羅勲児さんの日本公演が途切れて以来、現在まで休息状態です。(おおきに)


「ミュージック・マガジン1988年5月号】より

第三話(艶歌は心の歌やから素直に歌う)Photo3(頁86)

 羅勲児はこのコンサートに、在日1世のオモニ、アボジ100人を招待した。
しかも、「普通の席じゃダメよ。一番いい席で見てもらわなくちゃ」とボックス席を開放した。
「今まで何千回とショウをやったけど、ショウのために、<オモニの海峡>曲作ったのは初めてですよ。私にとって忘れられないショウになるでしょうね」  「私も、在日1世のオモニ、アボジの苦労知ってる。知ってながら忘れてた。それをテレビのドキュメンタリー見て、『俺は日本に行って何してた』と・・・。日本に行って歌ばかり、恋の歌ばかり歌ってた。そんな歌、誰にでもできるよ。私が20年間やった、韓国からここまで来た以上は、お母さん、お父さんのために何か一つやらないとダメやなぁと、思ってやったことなんですよ」  羅勲児はステージから呼びかけた。
「お母さん、お父さん、私と一緒に故郷(くに)へ帰りましょ。"歌の舟"に乗って、一緒に帰りましょう」と。
「韓国のオモニというのは、もちろん日本へ行って苦労したけど、それは韓国だけじゃないよ。今の息子、娘たち、お母さん、お父さんの本当の苦労わかるかと。大きくなって、幸福になると、オモニの苦労を忘れちまうと。電話があるから電話一本で済むでしょ、テレビ見てればいいと・・・。
あれで、人間が詰まるのかと、詰らないよ、いくらなんでも。韓国一世だけじゃない、日本も考えてみて下さい、お母さんにどうするのか、みんな。私はね、一番社会で偉そうにしてさ、『私は立派な人ですよ』としなくてもさ、自分のお父さん、お母さんにどうするか、俺、それが聞きたいわけ。
いくら立派な人でも、大学教授、政治家でも、俳優でも、お母さん、お父さん、馬鹿にしてたら立派な人じゃないよ。お父さん、お母さん忘れるな、お前の[もと]を忘れるな、この野郎、ということで<オモニの海峡>作ったんですけど。
だから、このオモニは韓国のオモニだけじゃなくて、日本の、世界のお母さんでもあるんですよ」

 羅勲児の話には、庶民に対置して、「偉い人」として政治家、国会議員、大学教授などがよく出てくる。成功した人は、「普通の人と違って、何か努力したから、頑張ったから」と評価する一方で、「肩書きだけじゃダメなんだよ、庶民の心を忘れるな」と、くどいほど付け加える。
「他人は俺のことをスターだから何でもできる、という。馬鹿いうな、と。『人間負けたらアカン、投げたらアカン、絶対負けるな』と思ってきたから、スターになれたんだ。そんなこと考えてるから、それ位の人間にしかなれないんだ、俺、はっきりいうよ」。
 紙幅が尽きる。羅勲児が饒舌なのか、俺が稚拙なのか。両方だ。最後に艶歌に触れなければなるまい。 
 「私は、やっぱり艶歌歌手でしょ。艶歌というのは心の歌やからね、心の歌だというと、自分がいつも、いい人間性と言うんですか、人に対して悪いことするとか、そうするといい艶歌ができない。いつまでも、庶民の傷(いた)い心をもったり、美しい愛の気持ちをもったり、そうしないと、やっぱりいい歌できないね。艶歌の場合は、特にそうなんですわ。心を伝えるんだから。いつもいい心をもたないと。だから、いい心をもつように私も努力をしますよ」
 洗い晒しのタクワンを与えられ続けて、キムチの味を忘れた「在日羅勲児」の3年半。これからは、<オモニの海峡>、そしてもう一つのテーマ曲<アリラン海峡>に象徴されるキムチ味にウェートを置くのだろうか。
 「キムチ味を出すということはないね。今まで、キムチ味を抑えてきたから、自然に、これが羅勲児の味ですよ、ということ 伝えたい。艶歌というのは心の歌やから、素直にね、素直に(お客に)入れてもらったら、大ヒット曲になるんですよ。素直に、そのまま・・・、一から十まで全部素直。あのね、人の心動かすことは凄く難しいよ、ムチャクチャ難しいよ。拍手してくれるとか、心からそう思わないとしてくれないでしょ。だから、私(ステージの)最後にこう(手を合わせ、膝を折って)するでしょ、あれは『ありがと、忙しいのに時間をとってくれて本当にありがとう』という、私の心からの気持ちなんですわ。素直な気持ちもってれば、何とかなるでしょ。人間のやることなんだから・・・」
 人間のやることなんだから・・どんな激しい戦闘宣言にも増して、重みのある羅勲児の意思表示、聞いた思いがした。
 「新しい出発、これからも頑張って・・・」俺もドジなことをいったもんだと、ホゾを噛んだが“あとの祭り”。
「新しい出発じゃないよ、繋がりや。まだ勝負が終わらなかったから、時間かかることもあるんでしょ、ね。終わったんじゃないから。今、終わって再出発じゃないんだから。その途中だから。やる途中。再出発とやる途中と全然違うのよ。再出発は何かあって・・・、いや俺、負けた感じは全然しないんだから。一回負けて再出発じゃないんだもの。再出発の話は、あまり好きじゃない」
速射砲のように、はね返ってきた。
その通りです、ただ脱帽するばかり。
それにしても、大阪フェスの楽屋で初めて会った麗美(レイミー)夫人のきれいだったこと。
ーーーーこの野郎と思いましたよ。
「あれ、そう、会ったことなかった?」軽くいなされてーーーー。
 ただの歌手ではないんです。
 ナマの羅勲児を、イキの良さそのままに出したら売れるんです。ね、そうでしょう。(完)

おおきに注:
羅勲児と夫人は1983年に結婚
日本での芸名:麗美(レイミー/Raimy)(テイチクレコード)
韓国での芸名:丁水卿(チョン・スギョン)
本名:丁海仁


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