舞台左端には、女性エレクトリックギター奏者がスタンバイしていて、ヘビーロック風の、「ジーン」という、重い音色のイントロを奏でている。
その後、高音に移ってのギターソロを展開する。
すると、羅勲児後ろの、20名ほどの男性ダンサー達が、最初は円陣、次には、斜め左右に広がり、隊列を組む。
古代ギリシャの兵士、のような衣装をまとっている。黒と金色の衣装で、観ていて、重々しく、ある種の緊張感が漂っている。
舞台の中央には、片手に扇子、前曲の衣装に、紺色の上服を加えた羅勲児といった配置だ。
そして、楽団の演奏も始まり、曲が本格的に始まる。
軽快なロックの、いかにも若者に受けそうなリズムでの演奏で、ダンサブル(踊れる)な曲に仕上がっている。
舞台左右と後方の大型スクリーンには、アニメーション(動画)で、集団で踊る人の形も映し出されている。
女性エレクトリックギター奏者も、全編で演奏するようで、音の合間合間に、効果的なギターソロを入れている。
羅勲児が歌い始めるが、極めて難解な詞の内容のようだ。
詩の中の「테스형」(テスヒョン)の部分を、最初に聴くと、何?、となるけど、
曲が進むに連れて、「소크라테스형」(ソクラテス兄)が出てくるので、哲人、ソクラテスのことかと、納得することになる。
曲が進むごとに、バックのダンサー達の踊りが複雑になり、特に、羅勲児と同時に、右手を上に掲げる部分や、その後の、拳で胸を叩く場面など、よく統制が取れている。
時には、何か、ストーリー(物語)を表現していそうな踊りも付加されている。
中間部では、曲の楽団演奏が、ほぼピアノのみになり、詞の意味に合わせてか(「すみれの花が咲いていた」の場面あたりから)、6名の女性ダンサーの踊りも加わる。
今までの、男性ダンサーばかりの重苦しい空気から脱して、雰囲気を変える役割に寄与している。
また、この場面で、はっきりと聴こえてくる、女性バックコーラスのハーモニーも効果的で、ほぼ全編で曲の合間に挿入されていて(画面では見えないので、楽団演奏と共に事前録画と思われる)、無くてはならない要素のひとつになっている。
その踊りが終わると、女性ダンサー達は退き、男性ダンサー達が再度登場し、楽団演奏も、元に戻り、曲が進んでいく。
そして、エンディングが近くなると、ダンサー達の踊りは激しさを増し、隊列を守っての走り回りや、曲芸的な踊りなどを繰り返している。
羅勲児の歌唱は、詞の意味を、一語一語噛みしめながら訴えかけているようで、胸に迫ってくる。
当曲は哲学的な内容の詞に、ポップス調のリズムを維持し、明快なメロディラインのある曲に仕上がっていて、アンバランスなようで、そうではない、不思議な味わいのある曲であり、非凡な曲といえる。
曲よりも詩の内容を重視した曲とも取れる。 コンサートは続く。
(「테스형」参考直訳)
・・・・・
たまに ひとしきり ゆらりと はまり込むように 笑えてくる
その後は苦痛を その笑いで埋め隠す
いつもどおりに 来てくれる今日に 感謝はするけれど
死後も ただやって来る 再度の明日が恐ろしい
ああ テス兄 世は 何故 こうしたものなのか 何故 このように 苦難なのか
ああ テス兄 ソクラテス兄 愛は また 何故 こうなのか
あなた自身 分ると言いながら ぷつんと 吐き出されて 出ていく言葉を
私は どうやっても 分ったような 分らなかったようなのか テス兄
私達の 父の墓場に すみれの花が咲いていた
野菊も慎ましく 真黄色に 笑みを浮かべている
ただ 咲く花々が美しくても
時折 訪れない日を とがめているかのようだ
ああ テス兄 苦痛だ 世の中は 涙にまみれる 私には
ああ テス兄 ソクラテス兄 歳月は また 何故 こうしたものなのか
先ずはと 行ってみたあの世 どんなものなのか テス兄
行ってみての天国 どんなものなのか テス兄
・・・・・
(2021.03.19 美辞麗句)