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명자  (明子)

 作詞:羅勲児/ 作曲:羅勲児

舞台では、アナウンサー「김동건」(キムドンゴン)氏が、特別出演として登場、以下の内容を述べた。

(羅勲児氏の新曲、9曲を受け取りました。その中で、「명자!」という曲が、私の胸を打ちました。
「명자!」では、
「明子の父母が北から逃れてきた。彼らが私の実の父母。それで私は、明子の祖母に会いたかったが会えなくて戻ってくる。
この嘆きが、胸にこびりついた。そして、帰った後、北の空の星になったのを知った。」

その話を聴いているとき、私が一番大変だったのは泣くのを我慢することでした。
なぜかというと、私は今80歳を越えましたが、3歳の時、実の母が、黄海道沙里院に滞在中、亡くなってしまいました。
その後、80年以上も、私達の父母の墓を訪問できずにいます。
さあ、皆さん、私と同じ気持ちを持った人が、いくらかいらっしゃるでしょう。
離散家族、皆が、このような気持ちを抱いています。
私達の羅勲児氏の、「明子」を、私はこの場から、最後まで、じっくりと聴いてみます。)

この間、バックでは、「하림」(ハリム)氏のハーモニカの音が流れ、「김동건」(キムドンゴン)氏のナレーション(語り)に、おごそかな雰囲気を添えている。
そして、ハーモニカのイントロ、女性バックボーカル6名の歌声に続き、曲が始まる。

羅勲児の、少し抑え気味の歌声は、ソフトで優しく、詞の意味を噛みしめての歌唱となっている。
曲調は、ミディアムテンポ(中間の速さ)の明るいタッチのバラード系だ。
演奏面では、ハーモニカの音が特に印象的で、センチメンタル(感傷的)な気分になる。
歌詞では、繰り返し現れる、「눈물 너머로 반짝반짝 거리네」、(涙越しに きらきらと輝く)の部分が、特に心に残る。

曲についてだが、当曲は、1950年6月25日、朝鮮戦争勃発、今年は70周年の年で、羅勲児がそれに合わせて作った曲だ。
(戦争勃発の日が記念日というのは、個人的に、少々違和感があって、何故、終戦記念日ではないのか、と思っていたが、まだ休戦状態の継続で、終戦していない、平和条約が結ばれていなかった)
韓国内のインターネットの情報によると、特に、その詞の内容が感動的だと、評判になっているようだ。

毎回、公演の新出の曲の詞を、意味を知りたい一心で、辞書片手に訳している。
そして、時には、詞の内容に感動し、胸が熱くなることがあったけど、実際に目に涙が浮かぶことはなかった。
だけど、今回の公演の曲では、タオルのお世話になるのが、実は、2度目だ。
最初は、「모란동백」(牡丹椿)の時で、「牡丹や椿が散り、そして夢の中で現われ・・・、そして、ゆっくりと眠りにつく」あたりの描写が、想像できて、泣けてきたのだ。
当曲では、「明子の父母への献身の様子や、その父母も今は世を去り、北の空の星になっている」という、明子に対する、弟の視線での描写部分で、感極まったのだ。
(そして、その後の、明子はどうなったのか、健在なのか、気になっている)
年のせいで涙もろくなったのかもしれないが、新しい経験だった。
コンサートは続く。

(参考直訳)
・・・・・
私 幼いとき 腕白だったけど 力尽き倒れては泣き 夢も多かった
からからと笑って遊んでいた玉姫嬢 今 何処で どれほどまで 変わっているのだろうか
子 子 明子よ と呼ぶ父 酒の世話に慣れていて
子 子 明子よ と探す母 掃除をして 弟をおんぶしてやれと
薄暗い夕暮れ 北の空に星ひとつ 涙越しに きらきらと輝く

私 幼いとき 近所の人々 あいつ 可愛い声と聞き
延々と喋り続ける たちの悪いやつ 今 どのように 素晴らしく 変わっているのだろうか
子 子 明子よ と呼ぶ父 薬の世話で 半ばお医者さんになり
子 子 明子よ と探す母 手足や腰を揉ませるとき
夕焼けの向こう側 わき出る雲の間に 思い出の星たち きらきらと輝く
涙越しに きらきらと輝く

子 子 明子よ と怖がる父 目覚めて 別人のようになり
子 子 明子よ と胸が痛む母 ああ私の子よと あやしながら泣く
歳月が過ぎ 皆 世を去り 夕暮れの星となり きらきらと輝く
涙越しに きらきらと輝く
・・・・・

(2020.11.24 美辞麗句)
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