韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】履歴−4

1982年‘なんで泣く’
 羅勲児が作詞作曲した曲だ。 歌謡界に再び帰って来た羅勲児は本人が作った曲を主として歌った。 この様な能力は今も彼のカムバックを期待している要因だ。
‘なんで泣く’をはじめ、‘サラン’(1983)、‘テンボル(穴蜂)’(1987)、‘ムシロ’(1988),‘乾杯’(1989)、‘カルムリ’(1990)、‘永遠’(1990)、‘私の人生を涙で満たしても’(1990)等、本人が作詞作曲した曲を次々ヒットさせた。

‘女だから’(1982年)はシムスボン(沈守峰)に与えて興業に成功した。
インスニ(仁順伊)の‘ちょっと’(1991)とイジャヨン(李自然)の‘あなたの意味’(1989)も彼が作った曲だ。
‘あなたの意味’は元々羅勲児が‘私のあなた’というタイトルで1984年に発表していた歌だった。

1984年日本へ行った羅勲児
 テイチクレコードと契約して日本でレコードを出した。
韓国と日本を行ったり来たりして活動を続けた。

1980〜2000年代‘大韓民国羅勲児’
 カムバック以降羅勲児は、特に変わった‘放送活動が無い音盤と公演だけ’のやりかたで歌謡界を支配した。
公演を一度見ただけで皆すっかりファンになったというほどに常に目新しく卓越した舞台を 披露した。
2008年(記者会見後しばらく世間では引退)まで他の追従を許さないチケットパワーと人気を謳歌した。
最近‘私は歌手だ’‘不朽の名曲’のような番組で‘ピンチャン’と‘永遠’が新しく照明を当てられたりもした。

*羅勲児はデビュー以後現在まで800余曲の自作曲を保有し約2000曲を吹き込み、200枚のアルバムを発表した。 ヒット曲は60余曲に至る。
(日本語訳:byおおきに2014.10.28)

(おおきに注)
次は【羅勲児の継承者シンユ】
ですが今は和訳省略します

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