羅 勲 児 VS 金 重 培 二人はどんな人?
私が選んで作る私 VS 私を削って作る私

韓国の本「사람 VS 사람」(本の表紙はこちら)
第十七章 225頁19行目から227頁7行目まで

 現在も韓国と日本の音盤制作会社とアメリカの貿易会社など、いくつかの企業体を運用する羅勲児を周囲の人達は“崔会長”と呼ぶという。多分羅勲児本人が望んだ呼称だからだろう。

 最近“崔会長”に会った人の言葉に依れば彼の部屋はまるでIT会社のCEO事務室のように仕立てられているそうだ。このようなビジネスマインドをパターンとして彼が成し遂げた経済的成果や彼の事業家的関心の塊は、資質に対してあれこれ言う気は微塵も無いけれど、歌手羅勲児を観る大衆の一人として彼の事業家決まり文句はちょっと度を越していると思う。

 同僚芸能人の感嘆のように歌手をしないで事業を本格的に続けていたとしたら羅勲児は成功的な事業家になっていたかどうかわからない。
そうであればイ・ビョンチョル(おおきに注:サムスングループを創業した企業家)やチョン・スヨン、ジャック・ウォルチ(おおきに注:ノウハウ本「ウィニング 勝利の経営」の著者)を凌ぐ事業家や経営者になっただろうか?

 もし、事業家としてこの人達と同じくらいの名声や業績を果たせなかったら羅勲児は政界入門を勧誘する政治家達に自分が言った言葉を繰り返して考える必要がある。

 “私が政界へ入門すれば、それじゃ<愛は泪のたね>は誰が歌う?私でなくても政治をよくやる人は多いけれど、私よりもこの歌をうまく歌う人はいないから舞台を全うする”

 誰かの言葉のように、今、絶頂期にある歌手達の中で、2,30年の歳月が流れても自分に熱狂したファンを引っ張って羅勲児のように悠々と文化の河を渡る事が出来る歌手がどれほどいるか。
羅勲児の公演に熱狂する中年のファン達は公演を通して自身が彼と同世代であるということをとても誇らしく思って、自分達の世代でもこんなに魅力的なスターが居るから、自分も同時に魅力的な人間としての階級が上がるような気持ちを持ってコンサート会場を出てくる。

 或る新聞記者は羅勲児の2001年体育館公演を“文化侵攻”と命名して“ショーもショーだけど見に来ている4,50代の人々がより印象的だった”と表現した。私はコンサート現場で、又テレビ中継を通して彼の公演を視聴して記者の言葉を実感した。彼の公演場に一緒に居る中年の観客達は歌を一緒に歌い、一緒に来た一行と顔を見合わせて手拍子を打ち、興が乗れば立ちあがって踊り、言葉どおり“無我地境”にはまっている姿であった。今も彼の公演現場でありふれて見る事が出来る事だ。

 羅勲児のように完璧な自己決定権を持つ人を見る事は愉快だ。
たとえ現実世界でこのように暮らす事は出来なくても私もこんな“自己決定権”を持つ事が出来るという潜在意識の充足がその原因の一つだとしたら、余りにも度を越した解釈だろうか?

(日本語訳:byおおきに2010.5.14)
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