羅勲児  公式記者会見

2008年1月25日(金曜日)

於:ソウル・グランドヒルトンホテル

自分の "怪しい噂"と係わる
記者会見を開き
約1時間に渡り心境を率直に明らかにした。

京郷新聞2008年1月25日(金)15:12記事より

<羅勲児が言いたい事>第四話

 学校へ入学して行きました。大学なのに正規学生ではなくて附帯施設プログラムがありました。
講義を聞くことができるので勿論簡単なテストは通さなければなりません。
宿題をして、夜更かしても我が国の言葉ではないから私には易しくなかったです。夜更かしして宿題して夢を持ったのは久しぶりだったし、やりたかった事です。
プレゼンテーションの時は 3日間よく寝る事ができないで準備しました。私よりは若い教授だったが私のニックネームを ’アーリーバード(early bird)早起き鳥’と作ってくれましたよ。毎日私が一番早く来ていました。
結局その学校は韓国人の学生が何人か通っていて私を見知り始めたので行動範囲がまた難しくなりました。私が誰だかわかると大韓民国太極旗が私の背に有ってむやみな事はできないのです。
1年間通いたかったが通う事ができないで帰って来たのです。帰って来たら今度は(マスコミは)私を‘殺す’のです。
健康な人を‘殺す’のです。釜山某病院で喉頭癌にかかって,ひどい病気にかかってたまらない病気にかかった、というのです。分かりますね。健康な人を。
(この度は)釜山に一回も行っていません。去年から釜山某病院に入院した?、結果が何ですか。
私が断言するが、大韓民国公共場所に 3分以上立っていて、そこへ来たことがうわさが立ったら、私がもし病院に入院したら、まさしくどんな場合でも私を見た人がいる筈です。すべて分かります。皆さん専門家なので記者たちが書いて行く文句を見て、これ匂いがする、問題がある、ということがすべて分かるでしょう。既に、「尋ねて来ていません」、「見えない」というのもずっと出ました。
言う価値もなくて,言い返す理由もないのだから。
‘死んだ人’が目覚めて行き来するみたいな私がおかしくなりました。

 皆さん、(報道文を)全部を読み上げて見れば別に何もないのに、タイトルに‘羅勳児死ぬ、病気、癌にかかった、釜山に入院、とあるだけで、短気な人は上のタイトル読んで他人に話します。こんな式でそうです、死んだ、と。
私を卓球台に乗せてピンポン打って、太鼓叩いて、杖鼓打って終えたのです。

 それで韓国を離れました。
カイロからカサブランカまで行くのに何時間かかるのか。 夜、飛行機に乗ったが、ちょうどアスルラムの、秋夕と同じ大きい日なので飛行機に人があまりいなかったのです。
ところで耳から血が出て鼻から血が出て仕方ない位に風邪のストレスでした。間違いなくこういうことです。何日も薬も飲まず、病院にも行かないで過ごしました、元気に。癌にかからなかったです。

 或る国では砂原で死骸を焼きます。
私の目の前に流れる小川を渡って四具の死骸が燃えていました。一番右側の死骸は乞食、一番左側はよほど金持ちの死骸でした。ところがその燃える姿は全く同じでした。私は動く事も立ち上がる事もできなくて、そこに座って・・・
私は人前で泣く事ができません。弱い姿を見せてはいけないから。ところがその日は胸が仕方なくて鼻先がジーンとしたら目が熱くなって結局タオルまで取り出しました。何だか分からないが心が弱くなったというのです。私はその日、胸が痛かったが私の胸には夢はたくさん入って来ました。
私が書いた ’空’の歌詞に ’生きて見れば分かるようになって’と云うのが有るのですが、まるでそういう情景を見て歌詞の言葉を書いたみたいです。
国で数えたら 14ヶ国、20数箇所の都市に立ち寄りました。【日本語訳:byおおきに2008.1.30】
第五話へ続く

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