(13)釜山タワー

(2001年1月31日-5)

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国際市場らしき街を歩きながら釜山タワーへの道を探す。
竜頭山公園の石垣らしいのを見つけたので曲がり曲がりしながら、近づいた。
正面入り口ではなさそうだが、スロープを登って行く。舗装してあり傍らにベンチも並んでいて、一服する。
小学高学年の女の子二人が大きなごみ袋に路や植え込みのごみを拾っている。学校の課題なのか、自主的な「一日一善」なのか、尋ねる韓国語がわからない。
 螺旋状に坂道を登ったらタワーの正面へ出た。竜頭山の頂上にタワーが建っていてまわりに広場がある。
タワー入場の前に、ベンチがいっぱい有る休憩所で、連れが煙草一服するので、自動販売機で、珈琲とユルム茶を買う。紙コップに半分以下しか入ってないが、たった300ウォンで、戸外で暖かいものを飲んで一寸幸せ気分。
 タワー入場料は忘れたが、2500ウォン前後だったと思う。
エレベーターの終着は喫茶室で、展望台へは一人用の狭い階段を登る。
通ってきた所やホテルなどを地図と照らし合わせる。案内係員に外と地図を見ながら「プサンペッカジョン、オディエヨ?」と聞いたがわからないとの態度。
 また狭い階段を降りて喫茶室で地図を広げる。珈琲1300ウォンと生姜茶2500ウォンを注文して店員さんに「釜山百貨店」の場所を教えてもらう。
 タワーその物は展望台やお土産小物を売る店など有って、大阪の通天閣と似た雰囲気だが、街中にタワーだけがある通天閣に対して、釜山タワーは竜頭山公園という丘に建つ。

"♪yondusana〜,yondusana〜♪" と悲しげに竜頭山に語り掛け、羅勲児さんが歌う「竜頭山エレジー」。
この歌が出来た時は釜山タワーはあったのかな。
 奇麗に作られた広場には沢山の鳩と遊んだり、除夜の鐘の頃は人でいっぱいになるという立派な鐘もある。鐘の形は似ているようだが、鐘は地面近くに有り、鐘つき棒も下の方に有る。
広場の片隅で20人ほどだろうか、韓国演歌のテープを流して踊っている。殆どがおじさん達だがおばあさんもいる。多分毎日こうなのだろう。
 一人でブラブラしている人もいて、私が踊っている人達の写真を撮りに行っている間に、一人のおじさんが連れと話をしている。
勿論日本語だ。老人ではないし、平日の午後、どんな職業か想像付かない。
歴史の話を日本語で息付く間も惜しむかに早口で「とうとう」としゃべる。
特に我々(厳密には私)が興味をひいて参加している「日韓歴史の接点を歩く会」(日本国内で)や「韓国の文化と食を訪ねる旅」(韓国)で習った内容を韓国側から興味を持って学んだと言える内容だ。
 福岡、下関、神戸から船が出ているがどこから乗ってきたのか、神戸に住んでいるなら神戸からだな、などと話続ける。
大阪から飛行機で来たと聞いて何だかがっかりしたよう。日に焼けているから船の関係の職業かもしれない。
 そろそろ公園の出口の方へ歩き出してもまだしゃべりながら暫くついて歩いて来られた。
 下り階段にさしかかったら別の老人が話し掛けてきた。これからどこへ行くのか、釜山百貨店なら同じ方向だとか、自分の家は一駅向こうだが散歩によく来る、ホテルはどこに?など、覚えたての片言ではない身に付いた日本語を話せてうれしそうだ。
 竜頭山公園の帰り道は階段を降りているが、横には上りエスカレーターですれ違いに人が登って来る。
我々は公園の横っ腹から入ったので螺旋状に坂道を上がったのだった。正面から来るべし。
だけど、違う道を散歩できてそれも良かった。
 釜山百貨店は近かったが、あてが外れた。「韓国伝統文化の百貨店」であって、庶民日常の生活に消費するような物を扱う店ではなかった。
古いビルの一階と二階だけで特に二階は骨董品、専門家用の書芸用品、民族衣裳その他の高級品で、買うものは無い。
どの店にも客はいないし歩いているのも我々のみという閑散さ。
三階から上は雑居事務所のようだ。一回りですぐ出た。

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