友鹿洞・海印寺・光州へ

第二日目(7月5日水曜日)

読み易い行間が選べます(IE4以降)

  釜谷ハワイ・リゾートホテルを出発する前に、最初の集合記念写真を撮る。
カメラマンは「ユニオン国際航空」から、「洪さん」という青年が来ている。彼はカメラ担当だけでなく朝夕のバスの荷物の積み下ろしやバス発車前の人数確認など常に気配りと、きびきびした行動、力持ちで、決してスマートな美男とは言えないがとても感じのいい青年であった。
だから、旅の終わりに彼が撮ってくれた写真21枚を全部買った。主人は初めての韓国であり、又来るかどうかわからないと言う思いが有ったかもしれないが、16800円なのに「全部買え」と言った。嬉しかった。自分達では、そんなにいいところが写せないし、話しを聞いたり、歩く、登るに精一杯だったから。
集合写真を撮った側に「天下大将軍」と「地下女将軍」のチャンスンが立っている。トーメムポールのような物で、大抵は恐い顔か、おどけた顔をしていて、村村の境界とか、守護神のようなものらしい。
 この旅の最初の訪問地「友鹿洞(ユウガドン)」に向かう。慶尚北道大邱広域市内ではあるが、凄く田舎道を大型観光バスで揺られて行く。 司馬遼太郎さんの「からくに(韓国)紀行」に書かれている。
壬辰倭乱(文録・慶長の役)で日本から出兵した武将「沙也可」が棲みついた末裔が今も暮らしている。「沙也可」が「サエモン」ではないかとの説に賛同したい。「門」を崩して書くと「可」に似ているから、間違って「沙也可」などという現代の女の子みたいな名前で伝わって来たのではないだろうかと思う。
 ともかくも「歓迎 日本国 貴賓 鹿洞書院 訪問」と韓国式旧漢字で書かれた横断幕が貼られた「忠節館」で「沙也可」の14代目「金在錫」氏の歓迎の挨拶を受けた。「鹿洞祠」では姜 在彦先生が代表で「金忠善(沙也可の韓国名)」氏の位牌に参られた。私達は後ろで集まって頭を垂れた。
「沙也可」のように、「大儀名文のない戦いは止めよう」と、投降して帰化し、今もその子孫に大事に祭られている人がいた事に感動する。
 次の目的地「海印寺」へ向かう高速道路のサービスエリアで、バス出発直前になって席に戻って来た主人が「羅勲児のテープ売ってる」と言う。「えっ、どこどこっ」と慌ててバスを降りて探したら売店が有るのですねぇ。2本セットのが2種類あった。片方は3つ買えたけれどもう片方は一つしかなかった。御土産に要るのですよ。もっと。
でもよかった!CDショップへ行く時間が無いと諦めていたのに、高速道路で買えるんだ!。これからもトイレ休憩の度に気を付けて見る事にする。
買ったばかりのテープを一つ開けてガイドさんに預けて、バスで、かけてもらう事にした。目的地まで移動時間に先生方の説明があるが、時には話しが途切れる事も有る。そんな時にガイドさんが韓国演歌のテープを流したので、同じ韓国演歌なら「羅勲児」をお願いしたいですからね。姜在彦先生が「イビョルは有るかな、イビョル」とおっしゃるが、残念ながら40曲の中には無かった。30分も羅勲児を聞きながらバスに揺られて満足。
 伽耶(耶にもにんべんが付く)山の「海印寺」に行った。バスは途中で降りて、歩いて登り、敷地は広い上、急な石段が多い。世界文化遺産の「高麗八万大蔵経」の「経板殿」を格子越しに覗き込む。一見吹き曝しの様なのに保存に工夫がなされているのに感心する。
昼食は韓国式食堂でチジミ、トトリ、など14種のお皿が並んだ。韓国では極普通で驚く事はない。
 高速道路を西へ走り、南原「広寒楼」見学。「春香伝」の舞台になった場所。「春香館」の中に等身大の人形があり、物語りを追ってあった。
 宿泊地の光州広域市に入り、夕食は「鴨鍋」。野菜は芹がたっぷりで、健康にも美容にもいいというが、バス疲れで食欲がなく、ほんの少ししか食べられなくて残念。光州グランドホテル泊。

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