安東河回村・陶山書院

第二日目(3月30日金曜日)

読み易い行間が選べます(IE4以降)

 大邱東仁ホテルの朝食は、テーブルセッティングは洋式だけれど食事内容は韓式でたっぷり。4人掛けのテーブルに若い娘(こ)二人と一緒になった。主人はさっさと食べて煙草を遠慮無くゆっくり吸いたさにすぐ部屋へ帰ったので、三人で韓国語のことや韓国旅行について話しがはずみ時間を取り過ぎたくらいだ。写真を撮ったので送る約束をした。
 安東は4年程前に、神戸韓国学園の旅行で来た事がある。初めての韓国旅行であった。河回村の入り口に近い「民泊」は懐かしい。宿泊しなかったが、休憩所として、食事時でない時間にご飯を食べた。腰の曲がったお婆さんが、庭の片隅にある小屋に入ってお米を計ってきた。軽食といっても15人分だから大きな炊飯器の内釜をかかえていた。副食はこれといったメインはなく、キムチなど数種であったが、秋だったからか、ご飯がとても美味しかった。その時のご飯より美味しいのはない。
村の奥の方はその時行っていない所だった。つつじも咲いている。陶山書院は本当に静かに学ぶ所であっただろうと思う。「書堂(ソダン)」は寺子屋的で「書院(ソウォン)」は大学をイメージすればいいと思う。
 洛東江(ナクトンガン)がぐるりと曲がるから「河回村(ハフェマウル)と名附くこの村の川沿いを歩いた。途中に韓国のブランコがあった。高くて長いぶらんこで女の子がチマをなびかせて大きく漕ぐ絵などを見た事が有る。姜 連叔先生は若い頃を懐かしんで、ためらわず元気に漕ぎ出したので拍手が湧いた。誘われた若い娘(コ)のほうが躊躇っていた。松林と川の向こう側に苔むしたように見える巨大な岩山があって、写真のよい背景になる。
 川沿いを村の出入口のバスターミナルに向かって歩いている時、小雨が少し降った。傘を出すほどでもないのでパーカーのフードで間に合ったが、まだバスが来ていない様だったし、時間が有りそうなので、側の建物に入った。1999年4月にイギリスのエリザベス女王がここを訪問された時の写真パネルの大きなのが部屋に沢山展示してあった。タイムスリップしたお気持ちだったのではないかと思う。韓国だけでなくイギリスや日本にもどこかにそういう所は有る筈だけれど。
 昼食は安東の郷土料理のビビンバで、味付けにコチジャンを使わないそうだ。辛いものが苦手だから助かる。韓国の人や辛いのが好きな人は別に出ているコチジャンを自分で混ぜこむ。
 夜は「湖畔荘」で韓国伝統舞踊を観ながらの韓定食であった。女性舞踊家がいくつもの太鼓を一人でのけぞり回りながら乱打するのを、姜 在彦先生は大変面白がって、拍手された。が、以前、大阪城ホールで羅勲児コンサートの舞踊団のをみたが、あの時の方がずっと上手かった。社の山崎氏も「本物を先に観ちゃってるから・・」と言われた。中途半端な舞台を見てその為に、ここの食事が高いものに附いている筈だと思うとちょっとばかばかしい。しかし、第一回目の「韓国伝統料理」騒動のように、姜 在彦先生のお気に触らなくて、良かった。今回も巻寿司や稲荷寿司がテーブルに並んでいるから。  慶州温泉観光ホテル泊。
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