韓国の文化と食を訪ねる旅・第2回

2001年3月29日〜4月1日

読み易い行間が選べます(IE4以降)

 本題旅行の企画、主催は「月刊韓国文化」社で、日本の旅行社は「アクアリゾートツアー」、韓国は「ユニオン国際航空」でどれも第一回目と同じであった。社からは前と同じ山崎氏、山本さんが来られた。講師の先生も変わらず、姜在彦先生、姜連淑先生のお二人であった。その上、コンダクターの文さん、写真の洪君、バスの運転手、金さんまで全て一回目と何もかも同じメンバーになってうれしい。
 参加者の方はと見ると、関空から発ったのは「月刊韓国文化社」の山崎氏の他のほんとうの参加者は前回の6人から3人に減った。3人共2度目だが。
 出発の日、(航空券がないので、間に合って来てもらわないと困るが)山崎氏の到着が集合時間より遅れたが、不安は大きくなかった。関空で待つ者はもう顔見知りであったから、話しをしながら待った。富山県からの人は随分不便なことだ。関西にいる私達は朝も、むちゃ早くなくてもよい。
もうそろそろ山崎氏の携帯に電話を入れようかと思ったら、いつもの大股を一層大きくして、エスカレーターを駆け上ってこられた。朝、わざわざ東京から新幹線で来られるのだから、仕事とは言え御苦労様だと思う。
 姜 在彦先生は「儒教2000年・・・」関係のお仕事で今回も先に韓国へ発たれていた。
 出国ゲートを通る時、男性はよく「硬貨」をポケットに入れていて止められる。服のあちこちから小銭をトレイにじゃらじゃらと集め、やっと通してもらえる。それでもまだ何か残っているのか本人もわからなくてボディチェックとなることもある。私はウエストポーチをはずすのを忘れがちなので入出国の手続き中はリュックやバッグに入れておくことにしている。
 大韓航空KE732便14時20分発金海空港(釜山)行に4人で乗り込む。座席はほぼ真ん中で外が見えない。隣席が富山から着ているY氏であったので話し掛けた。青年でも、勿論老人でもないが年齢は見当がつかない。ちらっと見せてもらったパスポートは出入国のハンコがいっぱいで、期限内に何度も満杯になって再発行してもらうという。今回、韓国から帰って来る日は、ついでだから京都に行って翌日富山へ帰るつもりだそうだ。「一回目の旅行感想文を書いておられなかったですね?」「あの後暫く家に帰らなかったから」ということは、年中どこかに旅行していることになる。こんなに時間とお金が有るのはどんな職業なのかと考える。今は春休みの時期だから「先生ですか?」と尋ねてみたが、違うそうだ。それ以上は詮索しないことにする。こちらは聞かれても「年金生活者です」と言うだけであるが。
 乗り込む時に韓国語の新聞を取って来た。羅勲児記事が載ってないかなあと思うからだが、Y氏が「韓国語がわかるんですか?」と聞かれた。「文字は読めますが、意味はあまり・・・」「ハングル文字は難しいですね」「文字は覚え易いですよ。だけど意味はなかなかですねえ。特に聞くのがむずかしいですわ。私の耳が悪いのも有って。ところで、Yさん、インターネットなさってます?」「いやあ」「もし、見れるようになったら、是非見てください。」と羅勲児HPアドレスの書いてある紙を渡して宣伝する。アドレスをプリントして3センチ幅程に切った短冊状のをいつも手帳に挟んである。興味の無いような人にでも一応言ってみる事にしている。どんな所で「かくれ羅勲児ファン」を見つけられるかわからない。

第一日目
3月29日(木)
大邱泊
第二日目
3月30日(金)
慶州泊
第三日目
3月31日(土)
釜山泊
第四日目
4月1日(日)
帰国

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