翰林公園・旧日本軍特攻基地・五日場

第二日目(9月7日金曜日)

読み易い行間が選べます(IE4以降)

 本日最初の訪問地は案内して下さる郷土史研究家の洪淳晩氏のご都合で予定が繰り上がった三姓穴だ。姜 在彦先生の知り合いの方だそうだ。「日本語は韓国語訛りだから韓国語で説明させて欲しい」との申し出で文さんの通訳で始まったが、姜 在彦先生のご指示で日本語になった。なるほど韓国語式発音だったり、単語がわからなくて文さんに聞いたりしたが、私達は結構そのような言葉に慣れているから日本語でよかった。
 芝や雑草が三姓穴を埋めて浅くしているようだ。事実年々土砂で埋まっていっているそうだ。周りの木々が内側に向いているので神秘的だと言われているようだが、現実的に考えると、空洞に風が向かうからだろう。神秘なままの方がいいかもしれない。
 サボテン並木の翰林公園を歩いて、洞窟に入った。この公園を作った人の事が司馬遼太郎さんの「耽羅紀行」に出ていたと思う。出口近くで「サボテンジュース」を買った。サボテンの紅い実を絞ったそのままのようにあおくさい。氷とお砂糖を入れて、大ぶりのガラスコップ一杯2000ウォン。一人では飲み切れないから、ストローを3本もらった。
 掌瑟浦の旧日本空軍跡地、特攻基地の格納庫が残る所へ畠を見ながらバスは走る。小岩を積んだ縁取りの畠の中にまた四角く小石で囲んだ墓地を持った畠が次次と見える。先祖を真ん中に祭りながら野良仕事をしているわけだ。大きな区画の畠は戦闘機の格納庫も抱えている。姜 在彦先生は「ここは観光地ではないな、ははは」と茶化してしまわれたが、いろんな方角に出口を向け、草を生やした、かまぼこ型のコンクリートの格納庫に何とも言えない気分になった。
 昼食は「大侑ランド」のレストランの「キジ鍋」だ。キジ肉はフグみたいに薄く薄くお皿に並べてある。余りに癖が無く、鶏のささみのようで味も無い。「大侑ランド」はレジャーランドだろうけれど食事だけして、又バスに乗り込み「如美地植物園」に向かう。植物園は、6つの地帯にわけて、きれいに植物を育てあったが暑くてやりきれなく好きな草木だけれど充分鑑賞する気になれなかった。集合時間まで間があるので、真ん中の展望台へのエレベーターに乗った。見晴らしもよかったが、一階にいるよりもいくらか涼しくて、葡萄のソフトクリームがおいしかった。2000ウォン
 大きな滝と並々と水がある天池淵にも行った。
 楽しかったのは「五日場」。毎月5の日に市がたっていたから付いた名なのだろうが、今はくずれているのか今日は7日だ。(後で聞くと五日毎に開かれる仮設市場だということでした)。大きなテントがいくつも続いて魚などの食品から衣料雑貨は勿論犬猫などペット、歩き回る鶏まで。羅勲児テープの海賊盤らしきを2種4本買った。1本2000ウォン。お米からポン煎餅を作っていて、写真を撮ったら嫌がられた。
 はじめからの予定に入っていたらしく、「済民日報社」を訪問する。バスが新聞社に着いて姜 在彦先生と山崎氏ぐらいがバスから降りたが新聞社の人が皆さんも一緒にどうぞと言われる。23名ぞろぞろと新聞社の応接室へ通されてオレンジジュースをご馳走になり、金孝晃会長と姜 在彦先生や山崎氏がしばし歓談されるのを聞く。その後社内をぐるっと案内され、済民日報社の方々数人の車と共にさほど遠くない日式の高級店まで行き、夕食となった。ここは新聞社の招待という事で、その御礼に新聞社を通じ、福祉施設へ寄付を託した。この件が翌日の朝刊の記事になっていて、 その新聞を翌朝貰った。
御礼に差し出した寄付金は我々の夕食費として予定していた額だが、ご馳走になったのは豪勢なものだった。 石鯛の刺身をはじめ、次々と運ばれてきて、竜宮城の浦島太郎になったようなごちそうで、この店にこれ以上に高いメニュウはないのでは無いかと思った。9時頃まで2時間ばかり宴が続いた。ほんとは姜 在彦先生御一人が招待されるべき席だったのではないだろうか?

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