萬丈窟・城山日出峰

第三日目(9月8日土曜日)

読み易い行間が選べます(IE4以降)

 名前通りの巨大な洞窟「萬丈窟」へ入った。この暑い9月でも中はひんやりとしてここに棲みつきたい気になる。 足元はでこぼこでジュルジュルと危険だ。ガイドの文さんは少しヒールのある靴だから「歩き難いでしょう?」というと「ソウルからだから、スニーカーは荷物になるから」との答え。
出口の売店で主人がサングラスを買うのに付き合ったら、隣の棚は「テープ」!「ナフナ、ナフナ」と探す。有った!二本組5000ウォン。持っているが御土産にしょうと思った。
(ところが家に帰って調べると同じ企画のBEST TWOを持っていて、これはBEST ONEだったのだ!やったあーーーね)
 済州島へ来てから、何度もバスの窓から島のように見えていた 「日出峰」へ着いた。駐車場前の店のおじさんは冷たく冷やしたボトルの水を「ミネロ ウワートー 、ミネロ ウワートー」と叫んで売り込んでいる。ホテルの冷蔵庫に入れておいたボトルを忘れて来たので1本買う。1000ウォン。韓国語の発音は英語の発音に似ていて、得だなあと思う。
 時間の都合で、足に自信の無い人は途中の展望所までにした方が良いというので、私は頂上へは行かなかった。折角来たのに勿体無い気もしたが、途中でも結構いい風景が有った。この山の片面はドサッと崩れ落ちたのか、 断面の岩が荒々しい。
 駐車場付近の土産物屋などを覗いてまわったり、アイスクリームを食べたりしながら下山の遅い主人を待った。済州島はここに限った事ではないが、外国からの観光客だけでなく、韓国の方々から観光に来る。が、この日は偶々なのか、西洋人団体客のバスが来ていた。
 「サングムプリ噴火口」見学は急な雨と風に出遭って、休憩所へ走り込んだ。冷たい「シッケ(麦芽の甘酒風)」を買う。バスに乗ってから「おやつ」が配られた。姜 連叔先生がさきほどの休憩所で焼いて売っていたのを買っておいて下さったのだ。粉を溶いて薄く焼いた皮で大根の千切りを巻いてある物。ああ、なんていうのか名前を忘れてしまった。
 昼食の「アワビ粥」の店に着いても雨は降っていた。草っ原に二階建てのプレハブがぽつんとあるその二階で チジミを食べながらアワビ粥の炊けるのを待った。お粥が来る前にフィルム切れで写真無し。内臓も入った薄緑色のお粥だ。 「百歳酒」の瓶がまわって来る。
 民族村の一つに行った。柿渋染めの服や帽子を売る店もある。(この後、至る所に柿渋染め製品が御土産品になっていることに気付く。終に帰りの済州空港で買ってしまう。主人は帽子、私はベストを。欲しい物ではなかったが、これほど売っているのに買わずに帰って後悔しないだろうか?と心配だったから)
 簡単な説明の後、案内されたのは「五味子」「冬虫草」「馬の骨の粉」などを売る小屋。 後で聞いたが、他には無い物や随分安いということだから買ってくれば良かったと主人と話した。しかし、それで治さないといけない病気を持たないのだから今の所、要らない訳だ。
 新羅免税店に寄る。娘から頼まれていた孫への御土産「太鼓」を探す。韓国の太鼓なら「杖鼓」がよかろうということになった。演奏用のではないが、半サイズほどで皮張りでそれなりの音が出る。60000ウォン程。孫のおもちゃは家に盛り上がるほど有るので、買ってやる機会はめったに無いから、良いチャンスだと思う。
 免税店を出てみると、通りの向かいに「グランドホテル」と、見える。「済州グランドホテル」と言えば羅勲児映画「寂しい狩人」に出て来たホテルではあるまいか?1982年「李元世」監督の作品。
ちょうどこの映画のストーリーのように羅勲児さんが華やかな歌手人生から身を退き隠遁生活の後、日本の神戸で失恋の痛手を癒した翌年の出演映画だ。其の翌年の1983年には新作を相次ぎ発表して今日に至る。
 夕食は済州特産の黒豚カルビ。翰林公園や民族村に愛敬ある黒豚がいた。カルビはやっぱり牛に限るかな?

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