竹西楼・KBS・雉岳山

第四日目(9月14日土曜日)

読み易い行間が選べます(IE4以降)

 今日の最初は洞窟。江原道三陟(カンウォンドウサムチョク)は「世界洞窟博覧会」が催されるほどの所だが、見学予定だった最大級の「幻仙窟」は先だっての台風で水ビタシで入れなくなったので、かわりに「泉谷洞窟」になった。
 どちらにしても、この度は絶対に洞窟へは入らないと決めていたので、バスに残ろうとして運転手さんに「チョヌンアンガヨ」と言ったのに、バスのドアの鍵を閉めて洞窟の入り口まで連れて行かれた。ガイドの文さんも洞窟に入るのが嫌いで、洞窟の中へは運転手さんが行くことになっていたのだ。なーんだ。
 朝早いので売店が開くまでまだ少しある。傍のベンチで姜在彦先生他居残りの数人で雑談をして待った。洞窟へ入らなかった代わりに、絵葉書を買ったが、別に面白くも無い。売店に羅勲児のテープでもないかと見回ったが無い。
 バスで移動し、「竹西楼」で靴を脱いで上がった。どっしりとした建物の天井を見上げると偉い方々の詩などの額が掲げてある。社の山本さんが、何だか興奮気味な声で一つの額の事を指しているので近寄ってみると、その額の筆者は「月刊韓国文化」の表紙タイトルを書かれた「金忠顯」氏なのだ。もう既に亡くなっておられるのだが、タイトルは其のまま続いているのだそうだ。こんな昔っぽい場所に何だか身近に繋がる名前が見れるとは思わなかった。
 ホテルの朝食時に社の山崎氏からの提案で当地のKBS(日本のNHKに当たるテレビ局)へ水害被災者の為の募金をしょうと言う話があった。江陵支局を訪ねると中に入れてもらえて見学してきた。羅勲児さんがこんな地方局へ来たわけではないが、旧正月などの大きな公演をKBSで放映しているからKBSというだけで、嬉しくなる。そして、約20人で50万ウォン程度らしかったが、少しでも募金した事で気休めになった。
 昼食はこの地方名物の「スン豆腐」。堅く絞る前の豆腐で、日本では「ざる豆腐」等と言っているものではないだろうか?普通に固めたのを焼いてあるのもメニューに加わっていた。大抵の店の名に「ハルモニ」がついているみたいだ。食堂の隣の小屋のようなところでは、お兄ちゃん一人が昔ながらの手作り豆腐に汗していた。次々と押し寄せる大勢の客のお豆腐を一人で作っているらしい。
 午後は雉岳山(チアクサン)国立公園で「亀竜寺(クルンサ)」などを見学して、夕食はカルビ
 最後の宿は「原州観光ホテル」。 商店街のど真ん中にあるから、買い物に、と出かけたものの、CDショップも羅勲児を置いていないやかましいだけの店だった。梨と桃は持って帰れないので一個ずつ買って今夜と明朝で食べなくては。結果は各2,000ウォンで安く無く、どちらかと言うと不味かった。せっかく好きな韓国の市場を歩いたのに店じまい直前の様子に気ぜわしく思ったのか、疲れていたのか余り楽しくなかった。きっと「羅勲児」が買えなかったからだ。  今日の高速道路の休憩所(どこだったか忘れた)で小型トラックのテープ屋さんがあった。羅勲児のはテープ二本組が一つあった。他の人には「こんな所のはあまりいいのが無いからね。以前はどんなのでも羅勲児だったら買ってたけど。」等と言いながら、その目の前で、やっぱり買っちゃったーーー。7000ウォン。同じCDは既に持っているのに。
でも今回の旅での唯一の羅勲児物になった。買っておいてよかった。

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