金首露王陵・晋州博物館

第二日目(7月15日木曜日)

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 この旅初めての朝食はこれ。こんな献立を食べ続けたら健康的なダイエットが出来そうだ。
 昨日、金首露王陵を通りかかった時は、余りにも雨がひどかったのでバスから降りられなかったので今朝一番に寄る。御陵内の草抜き作業中。この後、見学した史跡も皆、整備中であったり、手入れがよく行き届いていた。歴史家から見れば昔のまま、そっとして置いて欲しい、との思いがあるだろう。ここ4,5年の間に塀や建物が加えられて観光用に立派になってしまった史跡が多いと聞いた。
 今日のお昼はお弁当だ。韓国ではもともとお弁当の習慣がないから特注したのだろう。魚のフライ、少し大きめの海老、日本の味付け海苔、などで、キムチが入っていなければ丁度日本の駅弁かデパ地下弁といったような内容だった。道項里古墳群の中でいつ雨に降られるかも知れないと空模様を気にしながら急いで食べてしまって写真が無い。次回からは何が有っても写真だけはキチンと撮るように心しなくては!
 案の定、先生のお話しが終わらない内に又雨だ。傘を持っていながら、晴れているから、とバスに傘を置いてきた主人と相合傘で小走りに、バスに戻る途中のお寺の鐘楼に上がって雨宿り。韓国の釣鐘は下の方にぶら下がっている。傘が無いから鐘楼への階段を上がるのさえ濡れるのを避けたい人達はこの下で雨宿りした。私の傘は旅行先で無くしてもいいし帰りには捨ててこようと思っていた汚い晴雨兼用傘だが、よく役に立ち、捨てるチャンスが無くて持ち帰ってきてしまった。
 小止みになるやバスへと急ぎ晋州へ移動する。1590年代、文禄の役(壬辰倭乱)の資料が多い国立晋州博物館見学の終わり頃、先生が冗談交じりで「女性は是非お参りしなくてはならない」と言われた「義妓論介之門」へと岩場に下りた。論介(ノンゲ)という官妓は壬辰倭乱で1593年晋州城が倭軍(日本軍)に破れ陥落した際、倭軍の指揮官を抱き込み、南江に身を投げて君主との義理を果たした。その時、倭将の腰に廻して組んだ指が解けないように全ての指に指輪をはめていたらしい。南江に掛かる橋の橋桁にはその指輪を模して翠色の浮き輪みたいなのが付いている。日本の武将が韓国の義姓にやっつけられたのに、どうしてか、少しも腹立たしく無い。
 夕食は晋州特産鰻の蒲焼。デザートはスイカで甘さはサッパリめ。
 夕食の間も、終わって歓談時にも雨が店の窓ガラスを濡らし、稲光が止まない。晴れていれば南江べりで夕涼みとなるところだが、この日は到底無理だ。  
第一回目の時にも泊まった晋州東邦観光ホテル泊。

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