高霊古墳群・真興王碑

第三日目(7月16日金曜日)

読み易い行間が選べます(IE4以降)

 ホテル朝食時の席からは川向こうに慶南文化芸術会館がよく見えた。去る3月20日(土) 南江辺の羅勲児DREAMコンサートの会場であった所だ。なるほど南江のほとりに有る。生憎とカメラの電池切れになり、バスで走り出してからの撮影になってしまった。
 30分程で綿花展示館に着く。韓国で初めて綿を栽培し始めた「文益漸(ムンイクチョム)」と言う人の墓所でもある。奇しくもコンダクターの文さんの先祖に当たり、文さんは誇りに思うと共に面映いようであった。1300年代、絹と麻だけの時代に木綿が作りだされた事は衣料や漁の網等、大きな意義が有ったという。
 高霊にある大伽耶王陵展示館見学。「殉葬墓」だったんだって。嫌だな。
 この後、裏山の古墳群見学を45分間の予定で自信の有る健脚者だけが行く事になった。私を含め6,7名が“自信が無くて”居残った。展示館の外の待合わせ場所にいたが又又土砂降りになってみやげ物店へ駆け込んだ。古墳群を見学に行った方々は、ずぶ濡れで帰って来た。なぜか皆さん傘を持っていない方が多いのです。まぁ、例え傘をさしても濡れないのは頭と肩ぐらい、という降りですから、有っても無くても濡れるわけですが・・
先生は手術後無理が利かないとの事で「居残り組み」だったが、「私のように雨と雨の間を歩けば濡れない」とおっしゃった。??
 おおかたが昼ごはんの店へ入った後、バス内で女性達は濡れた服を着替えた。わざわざ日本から来たお客の為に茄子の一品(写真右端)が余分に付いたということだ。郷土料理「ノンメギメウンタン(田のナマズ辛汁)」の鍋底近くなって姿を現したナマズ君。充分泥を吐かせてあるので癖は無くて味もよく、唯「魚のお鍋」だった。
 店の裏庭にかぼちゃが生えていた。植えてあったのかもしれない。その近くで李進煕先生が手招きをされる。何かと思って側に伺うと、かぼちゃのツルの先の方を摘んで「ここらへんの葉を味噌汁にすると旨いんだ。先を摘むとツルが伸びないから(先から、2,3番目の葉を摘まないといけない)」と「御袋の味」を感傷的におっしゃった。我が家で南瓜の収穫は無理でも葉っぱだけなら植えられるかも知れない、やってみるか!と思った。

しかし、韓国のかぼちゃは日本の南瓜と少し違っている。むしろズッキーニに近い。例え同じかぼちゃの種を植えたとしても土が違うし、味噌などの味付けも違う。絶対にと言っていいくらい先生が味あわれたものとは程遠い物になるだろう。
そう言えば別の日に白菜の話も伺った。白菜は外国から日本に入ってきた野菜を改良して今のような白菜になり、それから韓国に伝わった。が今も両国の白菜は土壌の違いで味も違う。日本の白菜はみずみずして塩漬けにすると美味しい白菜漬けになる。一方韓国は硬めでキムチにして美味しい。唐辛子だって日本から渡っていって、あんまり辛くない今の韓国唐辛子となり、韓国=キムチ=赤い唐辛子とイメージするくらいだ。同じ物でも育つ環境で変わらざるを得ないという事がよくわかる。人間も同じ。

 昌寧校洞古墳では雨に逢わず、涼しい風が吹く。真興王碑見学後、馬山に向かった。
 ホテルチェックイン後、小雨が降る中、数分ごちゃごちゃした街の中を歩いて夕食の店へ行く。『アグチム』(アンコウ炒め)。韓国料理には珍しくおかずの品数が少なく、また、アンコウと一緒に炒めてあるのは殆どが「もやし」と言う感じで、野菜の種類が少ない。しかし、店は大繁盛で、狭く、汚く、次々と客席に出来る場所を増やしたような様子だ。店内の中心部にある住居用の部屋から出て来てお客を眺めながら煙草を吸っているのはこの家のお婆さんだ。
 昨日と今日、高速道路の休憩所で見つけた羅勲児のテープ二組。内容的には「焼き直し」で価値観は薄いが片方は一応「巨星社」製ではある。
 馬山ロイヤル観光ホテル泊。宿泊中の中国青少年選手達を見かけた。

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