出発時間八時になってバスに乗ってから、ふと思った。「昨夜宿泊のこの
ホテルはビーチ何とかだった。ビーチはどこ?」尋ねてみるとホテルの前の道を渡ればすぐ海岸だそうだ。反対側の部屋だったなら窓から海が見えたのだろう。
今朝はホテルの朝食を止めて、昨日の夕食の店へ行く。昨夜、店の主人から「ホテルの朝食よりも、うちの家庭料理はどうですか?」とガイドさんに持ちかけが有ったらしい。
豆腐の味噌汁にはホバク(韓国カボチャ)など野菜がたっぷり。そして韓国の豆腐は3,40年前に私達の近所に有ったお豆腐屋さんが朝早くから大豆を砕いて作っていたような木綿豆腐で、どの店のも総体に美味しいと思う。
木浦という地名は歌の「木浦の涙」、映画の「木浦は港だ」のタイトル でしか知らないが、海も港へも行かず、「国立海洋遺物展示館」を見学。古代の貿易船と陶磁器などの貿易品を海底から引き揚げて特殊仕上げで保存してあるから、まるで新品かレプリカのようだ。そして100年以上も海底に埋もれていた昔の船を発掘しての復元はすごい!博物館前で撮った集合写真のバックは
大きな木製のイカリだったのだ。
バスは木浦から一時間余り北上して霊光郡に有る龍渓祠へ向かう。ここには、秀吉の時代に捕虜として拉致されて来ながら、日本に儒学を教え、「看羊録」の作者である「姜 (カンハン)」が祀られている。姜 在彦先生はそこに用意されていた
韓服衣装を羽織って、皆を代表して
祠に参られた。
昼食は
風川郷土料理の鰻。焼肉みたいにレタスやエゴマの葉ッパなどに包んで食べるけれど蒲焼の味は日本で食べる蒲焼と殆ど同じ。
お店の名詞と
メニュー。
近くにある
禅雲寺見学。広い敷地には秀吉の時代に焼かれるまでは立派な建物が沢山あったそうです。見る価値ある所らしいが、余り興味が沸かず、写真も一枚しか撮っていない。
次が又暑くて高敞(コチャン)の
支石墓郡見学。コインドル(巨石墳墓)とかドルメンなどの呼び方もあるが、果たして「墓」だけの目的に作られたのかどうかはまだ謎の部分もあるらしい。北方式、南方式と説明を受けてもどうも区別がつきにくい。折衷式もあるそうだから、まぁ、いいか。
半時間ほど走って「
井邑休憩所」(ジョンウプサービスエリア・まだ建設中でテント張り)を経て、全州市入り。
一時間後には全州市内「
百番家」で夕食の韓定食となる。
横長の細い部屋に通されたが、座布団は有ってもテーブルが無い。皆が後ろの壁や出入り口の引き戸にもたれるような格好で、向かい合って座るように指示された。ははーん、一人づつのお膳が出てくるんだな、と思いきや、なんと、六人分づつの
料理が乗ったお膳がエッサ、えっさと運ばれて来た。その後も次から次へと置く所も無いのに料理のお皿が運ばれて来る。結局のところ、彩りや見場は良いけれど、品数の割にはテーブルが狭すぎて、落ち着いて味わえない。値段も安くは無いだろうに、勿体無いが、それほど美味と思わなかった。
全羅北道全州市・全州コーアホテル泊