慶基殿・東学農民史蹟

第四日目(6月26日 日曜日)

読み易い行間が選べます(IE4以降)
 バスでホテルを8時出発。
 今日の講師である河宇鳳教授が朝食の店へ来られて紹介と挨拶の後、一緒に食事となった。
日曜だからと言うべきか、日曜なのにというべきか、店内は朝食に来た家族連れでごった返している。さしずめ日本なら(我が家なら)休日の朝は軽く済ますか、無しのまま昼ご飯を食べに外出するだろう。
 ジュースの空きボトルからお鉢に注がれたのは何かと思えば、この地方独特のお酒「母酒(モジュ)」で、沢山の漢方薬がマッコリ(にごり酒)の中に入り、シナモンで香り付けしたココア色の飲み物である。体に良いお酒だと聞くが、元々お酒が飲めないから残念ながらパス。全州名物コンナムルクッパ(もやし雑炊)は朝の体に優しく感じると共に今回の旅行で最も美味しい食事だった。
 河宇鳳先生が最初に案内してくださったのは、国宝の豊南門。東西南北の内ただ一つ残された門で、ソウルの南大門の如く街中にデンとそびえるが、囲ってあって通り抜けは出来ない。近所の子供が寄ってきて見ているけれど、姜在彦先生と河宇鳳先生が入られるので躊躇無く囲いを跨いで中に入る。アーチ型の石門をくぐってから上を仰ぐと「豊南門」の文字が見える。

 道を隔てるだけの近くで、建物や歴史共に伝統ある「殿洞聖堂」に入ってみる。日曜礼拝の最中で、日常の場では見られないよそ行きの表情でパリッとモシの夏服などで正装の人々が続々と集まってくる。羅勲児さんもカトリック教徒であるらしいから、日曜日はどこへどんな服装で礼拝に行くのだろう?
 次も向かいに有り、李成桂(李氏朝鮮の初代の王)を祀る「慶基殿」の中の建物数箇所だけを見学。

 そしてその周辺の「全州韓屋村」地域は一時間余りの自由行動となる。他の人達は個人やグループで韓屋街の辻々へと見学散策に出かけたが、屋根も有り涼しい格好の休憩所を見つけたギュウどんは昼寝をしてしまった。遠くへ行けないので、その場から見れる範囲をキョロキョロ眺めてだけいた。
 ギュウどんが寝ころんだ台は、数人が寝そべれる程に大きく、いくつも有るから家族連れがお弁当を食べている台もある。
ここら辺りは今までによく見てきた民族邑の田舎の雰囲気とは全く違って、韓国式瓦屋根の家が集まり、保存されている地域だ。街の表通りに新しく建った観光案内所や伝統工芸品を売る全州名品館も雰囲気に合わせてある。

 全州で昼食となれば当然「全州ビビンバ」だよン。味もさることながら、器が真鍮なのだ!お仏壇の“おりん”の大きいのだと思えば当たっている。

 河宇鳳先生は学生を一人連れてきていた。ビビンバを食べる時に先生方の向かいの席を指定された若い学生はガンとしてその席に着かず、一番末席に座った。そして早々とかき込むように食事を済ませて、ソウルから来たガイドさん達とは恐らく初対面であっただろうに運転手、カメラマンらの三人が食事をしているテーブルへ行って話しこんでいた。日本語が苦手でも、先生方はじめ、旅行者の中にも韓国語を話せる人もいるのに、青年は自分の先生が二つ返事で講師依頼を引き受ける相手の姜在彦先生に非常な畏敬の念を抱いていたのではあるまいか?180センチを越えるであろう体格で、温和なぼっちゃりした顔の好青年は韓国の上下師弟関係の一場面を見せてくれた。

 食堂を出てきたら生憎のにわか雨がちょっとひどい。店の前の道が狭いのでバスは路地を出た通りに停まっている。皆が困っていると、その青年は自分がずぶぬれでバスまで走って行き、備品の傘を抱えて来た。その頃、雨は段々小止みになったので、二人に一つの傘でも余り濡れずにバスに乗り込めた。
 国立全州博物館、東学農民革命記念館、その革命指導者、全ボン準の生家等を見学。

 夕食は全州伝統文化センター内の伝統飲食館で、カルビ定食。店名の「寒碧楼」は近くに名勝地「寒碧堂」があるからの名だろう。デザートのスイカまで美味しくいただきました。
全羅北道大田市・儒城スパピアホテル泊

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