韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】まえがき

余白の時間

 記者会見を終えてファン達の側を離れてから丸6年が流れた。

 彼を待ち望む人々のまなざしはまちまちだ。 帰って来ないだろうという悲観論者も少なくないし、必ず帰ってくると確信する人も多い。 誰も確答出来ない。

 或る人はこれを空白期だと言う。しかし余白だとみるのが妥当だ。 韓国の画家イ・ジョンサン画伯が言うように空白と余白は同じではない。 空白は何も無い場所であり、計算された余白は針一本刺す場所がない充満を意味する。 朝鮮に名声が鳴り響き笑わせる歌聖も当然「一人だけの勉強時間」=「独功」を持った。 (これまでにも)一年に何か月かは必ず世間と縁を断って声を練磨した。 これは空白では無く余白だった。

 羅勲児は1970年代に既に余白の時間を持った。 大田で蟄居していた頃だ。当時或る者はこれを空白だと判断して“羅勲児は旬が過ぎた”との評価をためらわなかった。

 帰って来た羅勲児はこれが余白であった事を証明した。 盛んに南珍とライバル対決を繰り広げていた時も‘すごい’羅勲児だったが、帰ってきた彼は過去と比較出来ないくらいに洗練された姿を備えていた。胸中、ファン達は歌唱力を基準に大田以前の羅勲児と以後の羅勲児を区分することにした。更には1970年代に歌った歌を“羅勲児が歌う様でない”と言う者もいる。それだけ変わったのだ。

 現在羅勲児は余白をとっている。彼がどんな姿で再び現れるか確言出来ないけれども 明らかに何段階もアップグレードした姿を見せるだろう。 ただカムバックをもう少し早めて欲しい気持ちだ。 彼を待っている人々はとても多い。 懐かしさも病で 逢いたい歌手に逢えない心にも病が宿っているのだ。

 羅勲児が一日も早く私達の前に もう一度出てきて欲しいと願う気持ちで本を書いた。 友として、又ファンとしてそれなりの余白を作り出そうと努力した。 これまでの行跡を気にしている方々には若干の情報を提供するものであり 若い層には彼の真価を発見するきっかけになる。

 今年の秋夕(旧盆)にはきっと彼の姿を見る事が出来ればいいなぁ。 羅勲児、と云えば秋夕特集公演を思い出す者が多い。彼がいない秋夕は“寂しくて寂しくて”なのだ。その昔、子供が心待ちに名節を指折り数えて待っていたように彼の帰還を念願する。

 最後に、多様な情報と助言を惜しまないシン・セイル先生と歌手ユ・シンジ等歌謡界元老の方々、そして画像を提供して下さった韓国福祉サイバー大学の金・オギョン理事、何よりも物心両面で支援を惜しまない韓国日報ユ・ミョンサン本部長と、出版を決定して下さったブックマーク出版社へも感謝の言葉を差し上げる。

2014年2月
南・ガンイル/金・ゴヮンウォン

(日本語訳:byおおきに2014.4.25)

【推薦の詞ー1】

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