私は朝から少年のようにわくわくしていた。
羅勲児のマネージャーの子息が結婚式を挙げる日だった。
マネージャーは羅勲児と15年以上苦楽を共にして来た仲だった。
なぜだか羅勲児が顔を見せるような気がした。
羅勲児と言えば私は一番最初に義理という単語が思い浮かぶのだ。
人と万遍なく付き合う性格では無いけれど一度縁が有った人
をずっと大事に思うのだ。
そのような彼が15年以上苦楽を共にして来た友の慶事を無視するものか、と思ったのだ。
勿論、懐疑的な思いも膨れあがった。2008年1月に記者会見をした後、徹底的に隠遁生活にこだわり続けて来た彼だった。
マネージャー本人でも無く、彼の子供の結婚式に足を運ぶだろうか?とも思ったのだ。
2008年の記者会見場での断固として厳正な態度が友としての予感さえ圧した。
2008年1月、記者会見をした本当の理由は
結婚式が始まる前、突然場内がざわついた。まさか!
私は頭を上げて声がする方を見た。羅勲児だった。彼は長い髪を端整に刈り、藍色のスーツを着て現れた。
金ジョンテSBS楽団長が一番初めに反応した。羅勲児に近づき素早く手を取って抱擁する彼の顔には感激の表情がありありと見えた。
“この友よ!”(おおきに注釈:日本語では‘オイ‘ くらいの語りかけでしょうか?)
と私もツカツカ近寄って行って声をかけた。
“オー!トデギ”
と、彼が親しげに私のあだ名を呼んだ。
本当に羅勲児で合っているのかと思って何度も彼の顔を確かめた。
長く垂れ下がっていた髪を切り、髭をさっぱりと剃っているけれど、もう一度見ても明らかに羅勲児だった。
客の中には目で彼の体を上から下までジロリと見る者もいた。あの噂の為であっただろう。
1年前頃、某月刊誌は羅勲児の健康異常説を記事にした。脳梗塞で挙動が不便だというのが記事のあらましだった。
2014年の今もインターネットでは‘羅勲児カムバック困難’という話が流れている。その根拠がすなわち‘中風はどんなに鉄人でも克服するのは困難だ’というのだ。
結論的に言えば羅勲児は完全に健康だった。むしろ肉が少し落ちて前よりもっとスラリとなった感じだった。どうやら公演が無い暮しをしているので健康管理をする時間が多くなるお蔭ということだ。
我々は結婚式が終わった後、食事を済ませて下の階の喫茶店へ降りて行った。其の侭別れるのが名残惜しいのは羅勲児も同じであったのだ。
話をしている内に、誰かが慎重に記者会見の話を切り出した。
「記者会見をしなければ女優達が厄介なことになるようなので直々に出たのだ」
と、羅勲児が淡々と語った。
「噂が‘乾いた野っぱらに火が広がるが如く’広まる為に、
このままでは駄目だ、とあたふたと帰国して記者会見を要請したのだ。
会見日程が急に決められるしかなかったという理由だ。それだけでなく私もその席へ参席出来ないかも、それくらい、あらゆる事があわただしく帰って来た。」
“万事うまく治まった。今になってこれ以上話して何になる。これからが重要だよ”と誰かが言った。誰もこの事に対してこれ以上訊かなかった。そうだ、チクチク痛む記憶をどんどん暴き出して何をどうするのか。
蛇足を付けるとすれば、‘うわさ’は今も進行形だ。
健康異常説をはじめとして、ありとあらゆる風説が今も尚、インターネットを漂っている。
芸能人も華麗な一皮を剥いてみれば一人の人間だ。むしろ大衆の人気を受けて生きる人達だから一般人よりもっと敏感かも知れないのだ。
そのしつこい噂にも豪快な容貌を失わずに気丈に過ごしている羅勲児を見ると、当節流行の言葉で‘テインベ(おおきに注:大人輩・心が広い)’という気がする。
作曲、歌の練習 “全くしなかった”
次の話題は当然その間にしてきた事だった。
私は個人的に彼と40年の付き合いだが記者会見以後、一度も連絡できなかった。噂通りの完全な潜跡だった。
マネージャーの子息の結婚式も招待状を送ったのではなく、羅勲児本人が自ずから知って訪ねて来たのだった。
“何をしてたんだ?”と私がいきなり訊いた。
彼はお茶を一口、喉を潤してからゆっくりと口を開いた。
“旅行してたんだ”
主に奥地へ行った、と言った。我々のお金で一日1000ウォン有れば食べて洗って寝ることまで全て解決する位に貧しい国々を一人でリュックを背負ってあちこちへ行った、と言った。彼が打ち明けた多くの旅行記の中で最も印象深く近付いた所はインドだった。
彼はガンジス川へ行って一日朝から晩まで座っていたのだと言った。
“座って川の水ばかり眺めていたよ”
元来、一人でいるのを好む友だけれど、そこでどんな事を思ったのか?
ガンジス川に座る彼の姿を想像すると、常に一編のミュージックビデオの様に「コーン(空ーおおきに注:天のそらでは無く、からっぽの意)」という曲が耳元に聞こえるようだ。彼の状況と歌の歌詞も本当によく調和しているのだ。もしかすると彼は、非常にもの寂しいように労いを話しかける歌の表現で自身の心を多く読んだのではないだろうか?
盛んに活動していた時はいつも羅勲児の手足のように付いて回る人達が居た。そして本人が願おうと願うまいとその国で一番豪華な所へ行った。
そんな彼が、誰も知る人がいない所で絵の様にポツンと座っていたなどと・・・
元々一人でいるのが好きな彼だったが全てが不便な事だらけの国で同行者も無くどれほど侘びしく心細かっただろうか。
“作曲は少ししたのか?”と誰かが訊ねた。
若い頃からずっとギターを持ち歩いて作曲に夢中になっていた彼だった。長い休止期の間に数十、数百曲を作り出しているのではないかという気が誰もがしたのだ。しかし彼の答えは意外だった。
“全く一曲もしなかった”
嘘なのか本当なのか彼は歌の練習もしなかったと言った。
私は彼の言葉を信じ難かった。
羅勲児が作曲もしないで歌も止めたのか、、、
それは蒙古族が国家的次元で馬に乗ることをやめる事より大変な事だ。
誰も責めて聞きはしなかったが彼の言葉を信じる人はその場に一人もいなかったのでは無いかと思う。
率直に私は彼の音楽的変身を信じている。金芝美と大田で潜跡していたが再び出てきた時も彼はとても変化した姿を見せてくれた。
唱法と音楽的気質で明らかな変化が有った。多分今回も世間があっと驚くばかりのカードをポケットに豊富に準備しているのではないだろうか?
“それでも(作曲も歌の練習もしなかったけれども)帰って来て仕上げはしなければならないね”と私は偽りない心を込めて言った。彼は分かるようなわからないような微笑をするばかりで何も答えなかった。
彼が帰って来たなら私は是非お願いしたいことがある。
南珍と共にコンサートを開くことだ。二人は韓国歌謡史最大のライバルとして一時代を風靡した。それ程の二人が共に手を取って締め括りをすればどれ程素晴らしい結末になることか。
“ファン達が待っているんだ。早く帰って来い”
と、
最後に彼の手を取って頼む様に言った。みんな同じ気持ちだった様だ。
近頃は中高年層が楽しむ公演がほとんど無い。
歌王という言葉をやたらと書くので、歌手が王の呼称を取得すればこれはファン層全体が‘国民的だと言う’意味であろう。羅勲児が即ちそうだ。特別にファンだと指差して呼ぶこともない。
中高年に限らず若い友人中にも彼の消息を気にする者が多い
私たちは四時間余りお茶を呑みながらあれこれの話を交わした。いつまた会えるかわからないけれど元気に過ごしている事は確認したからみんな満足な顔で別れた。
しかし、会って別れてすぐ又会いたい。
頻繁に公演をしていた時はいつも一緒に食事をしてサウナに行って音楽についてあれこれと話を交わした。時には家内よりもしょっちゅう会う仲だった。
そんな彼が突然地位を離れるのは心がどれ程に寂しいことだろうか・・・・
いっぺん顔でも見れたらいいだろう、という気が切実だったが、顔を見て別れてむしろ物足りないような気になった。
まるで海水を飲んだ後、喉の渇きがひどくなるように。
いつ頃帰ってくるのか、という問いが又胸中を巡った。
ガンジス川が羅勲児に囁いた言葉は
羅勲児と会ってから何週間経ったか。もしかしたら私は‘彼が私に対してカムバックに対する答えをした値打ちもわからない’(のではないかという)気が起こった。
“いつ出てくるんだ?”と訪ねた時はかすかに笑って回答を避けるような反応を見せたけれど彼は遠回しに明瞭な答えを投げ掛けていたのではないかと思った。
インドを旅行した時、ガンジス川の川辺で時を過ごしたという話を通して。
インド人達はガンジス川の水がシバ神の頭から流れ出る聖水だと信じている。シバは世界を破壊すると同時に変形と再建まで責任を負う神だ。
ガンジスには破壊と生命、死と誕生が共存しているわけだ。
絶え間なく流れるシバの聖水は羅勲児にどんな事を話しかけたのだろうか。
単なる“噂”の為に最高の地位から突然に地面に叩きつけられた彼だった。
その絶望と空虚は川底を知らない破壊の神から流れくるガンジスよりもっと深いのだ。恥と軽蔑だけについてみて見れば彼の歌人生は最早 死のほとりまで来ているのではないだろうか。
破壊の神が彼に唾を吐いたのも同然だ。
しかしシバは再建の神であることを忘れるな。
氾濫した川が羅勲児の門前沃田(門前にある肥沃な水田)を襲ってしまったが川の氾濫はむしろ新しい沃地を作り出す力ともなる。
ガンジスは もしかしたら彼に‘破壊は即ち新しい誕生’だと云う事を話しかけたのかもしれない。
‘押し流された彼の地位を以前よりもっと肥えた土が積み重なっている’と絶え間なく説得したかもしれない。
羅勲児は終日座ってガンジスのささやきを一口ずつ飲みながら砂漠のような荒んだ心を揺り動かしていたのではないだろうか?
再生の時間がどれ程かかるかわからないが彼は明らかに帰ってくるのだ。
私は彼がシバのささやきを心の奥深く受け入れたと確信する。
シバのささやきに関心が無かったらそのように終日座って流れを眺めていなかったであろう。
(日本語訳:byおおきに2014.5.4)