韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part1−2

羅勲児は帰ってこない?

(おおきに注:以下和訳省略の原文約2頁分を和訳追加しました。緑字)

“時勢も良くなったもんだ。近頃はタンタラ(芸人の古称、蔑称)も勲章を貰うんだね。”
1997年ビートルズのメンバーポールマッカートニーがナイトの爵位を受けた時
‘やっぱり先進国らしい’と賞賛した人達の中で少なくない人が、 我が国の歌手達が文化勲章を受けるというニュースを聞いてチェッと舌打ちをした。
今まで我が国の歌手と作曲家の中で文化勲章を受けた者は大韓民国の人なら誰もが 一度は彼らの歌を口ずさんだ金貞九と李美子を含めて全部で22名だ。

ファンヒ晶升の願いを聞いてくれた芸人、パウ

 いつから芸人達を見下すのが伝統的に固まって来たのか分からないが、 歴史をなぞってみると芸人の重量はそう軽くなかった。
春秋戦国時代、楚の国で三回ほど宰相を務めたソン・スゴ(孫叔オ)は 終焉を前に自身が死んだ後子孫達が貧しくなると予測して、 後日生活が困窮すれば楽人ウメンを訪ねて行くようにと念入りに頼んだ。
実際にソン・スゴが死んだ後、山で木を切って売ってやっと生きていた子孫達は ウメンの知恵のお陰で生活苦から抜け出すことが出来た。
当時の楚国の王はウメンに宰相の地位を勧めたくらいだから、 それ程に能力を認められたという意味ではないだろうか。
 我が国の外史にもそれと似た話が伝わっている。
ファンヒ晶升は一生清廉に暮らしたので財産が無かった。
死が近付いた時にファンヒ晶升は娘のホンサを心配して “パウという芸人が分かってくれるだろう”と言った。
彼の妻は夫が嘘をついたのだと思った。
しかしファンヒ晶升が死んでから何年かして王が施した宴会に出て行ったパウは 晶升の娘が嫁入り道具を用意する金が無く途方にくれている事を 風の便りに聞き、王はファンヒ晶升の娘に公主(皇女、プリンセス)に次ぐ贈り物を授けた。
楽人ウメンや芸人パウは決して粗末に見られる人達ではなかったのだ。

命をかけて自尊心を守った芸人達
 自尊心を守るために命までかけた芸人も多い。
その中でも特に朝鮮時代中期コムンゴ(玄琴)とトゥンソ(洞簫、尺八に似た笛)の名人であったキム・ソンギ(金聖器1649-1724)の逸話が圧巻だ。
当代の権力者であり、諫臣であったモク・ホリョン(睦號龍1684-1724)が祝宴に呼んだ。 音楽を演奏するようにと云う事だった。しかし金聖器は睦號龍が何度か人を送り、 脅しをかけると激憤して琵琶を投げつけて、使いで来たしもべに喚いた。
“この祝宴に私が行かないとなぜ音楽を演奏する人がいないのだろうか。 私が聞くところによればお前の主人は告変(謀反の計画を漏らす事)をよくするというから、 楽工金聖器が謀反を起こしたと告げろ、言え!”

 金聖器の姿はそのまま羅勲児とオーバーラップした。
彼もいつか財閥トップの招きを受けた。財閥家の家族パーティーに来て 3曲か4曲歌ってくれただけで3000万ウォン払おうと云う拒むのが難しい誘惑だった。
だが羅勲児は財閥の招きを断った。 “私は大衆を相手にする芸術家だ。だから公演場へ入って来た観客の前でだけ歌を歌う”と言って。

(以上和訳追加2014.11.16)

彼は結局帰って来なかった
 羅勲児が大衆の前から姿を隠してからおよそ6年間だ。 人々は彼がいつ帰ってくるか気にかけている。 羅勲児カムバック関連記事がネットに出たらクリック数が普通の記事の数十倍にパッと上がるのだ。それほど関心が多いと云う話だ。 だが、我々が見過ごしている事実が一つ有る。 2008年の記者会見を経ても彼の痛手を負った自尊心は回復出来なかった点だ。

朝鮮時代の金聖器は睦號龍の宴会出席を断って以降は都城へ入らなかった。
時折訊ねて来る親しい人と音楽を共にする事はしたが大衆芸術人としては引退した。
たとえ號龍の願いを拒絶しても自尊心の傷がそれ程深かったのだ。

 羅勲児もやはり‘自尊心 ’の大衆芸術人だ。潔癖に近い自己管理は以前から有名でなかったか。例えば、公演20日前に楽団に楽譜を送り練習をさせて公演5時間前からリハーサルをした。1980年代から今まで25年を越す歳月の間、どれほど徹底的に自身を管理して来たかは特に親しい間柄でなくてもみんな知っている。また、金芝美氏と別れた後は無一文で彼女の家を出て公演再開を準備した彼だった。それが‘男の自尊心’でも‘潔癖性’でも、兎に角、自負心と自尊心で長い歳月、最高の席を維持した。ところが、このような努力がわずか数ヶ月の間に根拠ない噂と言論界の吹聴でガラガラと崩れた。彼が受けた衝撃を我々は果たして想像なりとすることができるだろうか?

2008年の記者会見はショーでは無かった
 みんなが彼のカムバックに関心を持っているが、加害者の謝罪も心こもった激励も無い。記者会見場での堂々とした姿に魂が抜けそうなのか知らないけれども、‘今頃は色々なことを回復して楽しく隠れて暮らしている’と思っている人も少なくないそうだ。

 2008年の記者会見が一幕のショーであったのなら、彼は適当な時期をみて帰って来る。しかし彼は自身があれ程骨折って成し遂げた名声が、なんことかの噂で墨塗りになることがあるという事実に衝撃を受けた。あの日の記者会見に立った人は“スーパースター羅勲児”では無く“人間羅勲児”だった。あの日の全ての言葉と行動が“ショー”では無く本当の事であったという意味だ。あの真情を見終わって立ち上がっても言論界とファンたちは“次のショーはいつするのか”という気掛かりばかり表している。

 彼を帰って来させる力は“時間”では無い。これはまさしくファンと言論界の“人間的な反応”であるのだ。

結者解之という言葉がある
 誰でも皆知っている四文字熟語だが、もう一度説明すると‘結び目を結んだ者が解かなくてはならない’即ち、事をやった人が事を解決しなければならない、と云うわけだ。羅勲児の場合、‘結者’はネチズンと言論界であった。二つの内、根拠のない噂を流布した一部ネチズンは不特定多数というカーテンの後ろに隠れられるだろうが言論は違う。影響力にしても一般人の文と言論記事は非常に大きい差が有る。デマを既定事実であることのように作るので決定的な役割をしたという疑いを免れない。

 解決は結者の義務だ。羅勲児を帰って来させるには言論が進み出なくてはならない。彼のカムバックについて推測の報道でほのめかすのは困る。羅勲児の自尊心でみれば、何事もなかったようにこっそりと帰ってきて又歌を歌う事は無いのだ。 確実な‘けり’をつけなくてはならない。

 小さな子供でもおもちゃを持って遊んだ後は整理整頓をしなければならない。片付けをしないまでも少なくとも申し訳ない気持ちは持たなければならない。言論も今、幼い子供と同じ最小限の義務感を示さなければならない時になった。最高班列のスターを何年も“恥辱”の監獄へ閉じ込めて置いて‘私 知らないよ’と言うことは彼のファン達、更に彼の歌を愛する大多数の国民に対して道理でない。
(日本語訳:byおおきに2014.5.7)

【本文Part1-3】

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