韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part1−5

'芸人'達の神秘主義、そのわけ有る固執

(おおきに注:以下プレスリー部分の原文12行分和訳追加しました。緑字)

“私は概算で1000名を超す女と出会った。しかし愛を感じたのはたった一度だけだった。” <エルビスプレスリー>
エルビスプレスリーのあらゆる事がこの言葉一つに込められている。 もしエルビスが愛を感じた一人の女が誰なのか明らかにしていたら どうなっただろうか。 彼女がどんなに素敵な女であったとしても愛の神秘感はかなり消えてしまうと思う。
ところが名前を明確に示さない事によって1000名の女性が幸せになった。 愛は自分が信じたいままに信じる傾向があるからだ。 彼と真摯に目を合わせた女達だから誰もが‘たった一人の人’はズバリ自分だと信じるのは明らかだ。 たった一言の言葉を神秘主義に任せた為にどれ程多くの効果が有った事か!

(以上原文12行分和訳追加:2014.12.12)

‘芸人(コァンデ)’という言葉の元来の意味は?

(おおきに注:以下コァンデに関する原文15行分和訳追加しました。緑字)

芸能界に‘暴露する’風潮が大勢を掴んでいるこの頃、若干の‘大型’芸能人達の徹底した自己管理を聞いて潔癖症だと決めつける人が多い。
しかし彼らは珍しさを責める人達に‘私はプロ!’だという言葉で応対する。 専ら舞台でだけ自分の姿を見せようとする極端な神秘主義と云うスター性を守るためにプロとしての徹底した自己努力というわけだ。
 我々が芸能人と呼ぶ人達の本来の別の呼び名は‘コァンデ’だった。 コァンデの意味を推し量ってみると公演芸術家達が神秘主義に固執する理由に大体見当が付く。
‘コァンデ’と云う単語の使い途を調べてみれば下記のようだ。

“儺礼庁の雑像、注之、コァンデ(広大)等の物品を右辺儺礼庁は 既に以前に使っていた物を修理して作ったので・・・・”
<光海君日記>(光海君 8年8月20日)

“仮面はコァンデだ)
<訳語類解>(1690)

“国語で仮面を被って演技する人をコァンデと言う”
<高麗史列伝>

(以上原文15行分和訳追加:2014.12.20)

 言い換えて見れば我々が知っている‘演芸人’の元来の意味は‘仮面’或いは‘仮面を被った人’ということになる。
‘芸人(コァンデ)’は なぜ仮面を被ったのか。彼らは自分自身では無い他の存在として完全に変態する為に仮面という極端的選択をしたのだ。
羅勲児が言う’プロ’という言葉の意味とも一脈相通じる。

我々は皆仮面を被って暮している

 仮面は大部分否定的な意味で被るが必ずそうばかりでは無い。偽善者でなくても誰でも仮面を被る。
痛くもないのに痛い振り、さほど疲れていないのに疲れた振り、腹が立っていないのに立った振り、などなど。
これが人生ではないか。

(おおきに注:以下原文12行分を和訳追加しました。緑字)

私の特性をすべて働かせて暮らしたとして世間のどこの誰がこれを受け取るだろうか。 心の中でウンウン痛む哀歓も無い人生を完成する事は出来ない。 非難を受けなくてはならないのはコァンデや仮面踊りをして暮らしている庶民では無く、名誉欲の為に‘清潔で立派な振りの仮面を被っている人達’ではないだろうか?
 仮面は芸術に必須不可欠な要素だ。 全ての芸術家達は自分の実力以上の物を発揮する事を望んでいる。
ヴィクトルユーゴーはレミゼラブルを36年以上推敲したし、
ゲーテはファウストを完成させる為に 60年を費やした。
ヘミングウェイは老人と海を400回以上書き換えた。 10回ぐらい推敲したらそれはヘミングウェイの作品かもしれないが 400回を越したらそれはヘミングウェイ以上の作品だ。
音楽、美術、文学などにこのような例は無数だ。 時には狂気と思われる事もある 彼らの完璧主義は自分の跳躍の為の芸術魂の発露だ。
言うなれば不滅の作品を残そうとする人達が被った仮面の名はだ。

(以上原文12行分和訳追加:2015.1.14)

 つまり、我々は仮面の一生を生きている。素顔よりもっと真実な仮面がいくらでもある。
いわば羅勲児の‘泣くなーぁ なんで泣く たかが恋ゆえに’という歌詞の中に登場する‘そうではない振り’というアドバイスは仮面を被ることだ。 どうして、そうでない事ができるのか。これが我々の人生だ。
世の中に存在する仮面の中で最も哀切な事は即ち‘母’が被る仮面だ。
羅勲児の‘熟柿’という歌の中にその仮面が少し言及されている。

‘細い木の枝の鞭を打って後ろ向いて座って泣いている母さんを思い出す’

 子供の将来の為に厳しい仮面を被って鞭を打つけれど、子供のふくらはぎに赤い痕が生じているのを見ては後ろ向いて座って仮面を脱いで涙を流したのだ。
歳が経てば幼い子供も変わっていくので、もしかしたら仮面をかぶらなければならない事がだんだん減って素顔で過ごす日常が長くなるのではないか?
歌手達の徹底した自己管理の中には我々の暮しが表現されている。 どこの誰もが仮面を被らないではおれない。その上、彼の本分は‘芸人(コァンデ)’だ。 仮面を被る事が彼の職業だ。本人の言葉で‘プロ’だ。
‘神秘主義’コンセプトを持つ人達に無理にその仮面を取るように強要することは愛情を越える執着だ。

‘どうせ人生というのは演劇ではないかね!’
ーー羅勲児の‘なんで泣く’よりーー

(日本語訳:byおおきに2014.5.19)

【本文Part1-6】

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