韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part1−6

羅勲児、再びハンマーを握るのは?

  羅勲児は純粋な人だ。馬鹿だという気もする。彼の頭の中には舞台と歌以外無い。
ひたすら最高の舞台を見せるために心を砕き、また試みるだけで、そのどのような‘戦略’や‘そうしようという考え’が無い。彼の自尊心の99%は歌手としての純粋な欲だ。

羅勲児が平壌公演を拒絶した理由

 彼が大衆芸能人としての自尊心を十分に見せてくれる例として、‘2002年平壌単独公演’拒絶、を挙げたい。
 歌手としての平壌単独公演の意味は決して小さくない。今まで平壌での公演を開いた歌手は片手で数える程度だ。単独公演は言うに及ばずだ。 文字通り、‘家門の栄光’でもあり演芸社へ永く残る事件が無いことはない。

 それで羅勲児は平壌単独公演を果敢に拒絶した。勿論明白な理由が有った。歌手として最高の舞台を見せようと思う欲だった。

  公演要請が入った時、マネージャーがまず平壌へ入った。羅勲児側の要求条件は簡単だった。
‘北朝鮮当局は平壌公演場だけ提供してくれ残りは羅勲児とスタッフ達が解決しよう’
羅勲児は自身のスタッフ100名と共にバンド、音響、照明、小道具まで全部連れて行く計画だった。それでこそ本当の‘羅勲児ショー’を北韓の人達に見せられるという考えからだった。

  私は以前の平壌公演はこのようなこだわりをしなかったと思う。
彼は1985年に既に、金煕甲、白南峰等の同僚芸能人達と共に平壌で合同公演に行って来た時があった。その時客席の反応は冷ややかだった。拍手も満足に出なかった。たとえ‘党の指示’が無かったとしても、‘羅勲児ショー’にすっかりはまるようにやれば北韓の観客達も壁を壊して熱烈な拍手を送るのではないか、と言うのが彼の考えであったのだ。それで2000年公演では手本を示してやりたいと思ったのだ。
“羅勲児だけ来いよ”
北側の返事だった。羅勲児とコーディネーター何名かだけが来て北側の装備で公演をしろという事だった。羅勲児ショーの装備は国内最高の水準だ。 羅勲児の自尊心なら北側の思わしくない装備で‘本当のショー’は出来ない事だった。羅勲児は果敢に平壌単独公演で受けることが出来る全ての‘名誉’を潔く放棄した。 本当のショーを見せられないなら決して行かないという舞台芸人としての自尊心のためであった。

  羅勲児は更には米国へ行く時も自分のバンドは勿論、照明チームまでも連れて行った。スタッフだけでも数十名が動くのだ。 文字通り自分の能力を100%実現できる環境でなければ決して舞台に立つ事を考えないのだ。

  1980年代中盤、米国で公演をした時はホテルから公演場まで専用ヘリコプターを運用してくれと要求を言いもした。あえて接待を受けようとしたよりは一条の心理戦でなかっただろうか?韓国最高の歌手にこれくらいの待遇はしてくれなければならない、最高を押し頂く程広報な公演準備もそれに釣り合って神経を使え、という。

  日本では無理にこうする必要が無かった。既に彼の実力を知って、招かれて行ったので私が見ても最高の待遇をした。勿論マネージャーと宿所、交通手段、衣装まで全て超特級の待遇を受けた。羅勲児が日本を行ったり来たりして活動した頃1980年代、私は時々彼と一緒に日本の街を歩き回ったりした。その時、日本のレコード店ではパンフレットを作って羅勲児を広報していた。わが国では見知らぬ広報法だった。しかし企画社でいくら準備をよくしても舞台に責任を負うのは結局歌手だ。或る歌手達は全ての事を企画社へ委ねるともいうが・・・・

金日成 顔負けの羅勲児の絶壁最後の戦術

 彼のこのような熱誠は時々誤解を呼びもした。外国公演に出ても韓国の他のトップ歌手を客として招待することがあったので、その人達にも必ずリハーサルをさせた。マネージャーを行かせても来なければ羅勲児本人が直接連れて来て練習をさせた。その人の実力を信じないのではなく完璧な舞台にしたい欲心の為だった。 つまり、誰でも羅勲児の舞台に現れたら新人にならなければならない。

  前にも言ったが、羅勲児の神秘主義と同様に舞台没入度を上げるのはやり方の中の一つだ。彼はテレビに顔が映るのを嫌った。

彼と関連した色々な説の中に全斗換元大統領がショー番組を見て‘何で泣く’を歌う羅勲児を指しながら
あの者は会いたくてしくしく泣くの?”(おおきに注:赤字部分の和訳出来ず意味不明)
と言ったので目下の人達が放送出演が出来なくなったと云う話が有るが私が知る限り流言だ。
彼は自ら露出を嫌った。1990年代中盤以降彼のショーが名品ショーとしての座をつかんだ時は明らかに 見慣れないようにする、あるいは神秘主義戦略が功を成したと思った。

  事実 この戦略は多少違犯だ。神秘主義は一条の絶壁最後の戦術と見なければならない。平素顔をよく映さない歌手が舞台でなにかをポーン、と破裂出来なかったら誰が彼を見に行くだろうか。 断崖最後で‘気になる’何かを見せられなかったら人々は友達の様に安易なスターとして背を向けるのだ。羅勲児が舞台に‘命を賭けるしか無い’理由が即ちこのことだと私は思う。

  彼はメディア、賭事にもてんで関心が無かった。一筋に公演と歌に勝負を掛けた。従って自身を緊張させて発展させるしかなかった。羅勲児の苦悶はいつもどうすれば新しい姿を見せられるか ということだった。私は彼の熾烈な苦悶が羅勲児を伝説に作り上げたと信じている。

  蛇足を付けるなら羅勲児はファンクラブを管理しないことでも有名だ。周期的にファンミーティングを開く等多様な方法でファン達と交流する他の歌手達と違って羅勲児は写真一枚も提供してくれないのだ。人為的な事よりも自然発生的な人気を選り好みするからだ。

  ファンクラブは一種の拍手部隊の役もする。ヨーロッパでクラシックが全盛期を成した時期には甚だしくはお金を貰って拍手をする人を雇用したほどだったという。 勿論ファンクラブが企画社に雇用された人達だと云う訳ではない。ただ大型企画社からファン達を頑張って管理する理由が拍手部隊効果にあることもあるというのだ。この拍手が歌手の値打ちを上げるのは言うまでもない。

羅勲児がハンマーを握っていた訳は

 もう一つだけ話をしよう。
1980年代後半頃の事だ。釜山KBSホールで単独コンサートを開いていた時だった。夕方頃に行って見ると羅勲児がスタッフ達と一緒にハンマーを打っていた。 ハンマー打ちを終えたらペイント缶を手にした。夜までも勢いがあった。
“明日のリハーサルしないのか”時間が余り遅いようなので訊ねた。
彼は“まず、やろう”(おおきに注:和訳できずーまずこれをやるーの意か?)と言ってとうとう舞台セットを全て完成させてから宿に帰った
。 翌朝、彼は9時に予定通りリハーサルを始めて一日の日程を完璧に遂行した。
“これからナフナと言わずツフナと言え。体力が普通の人の二倍は有る”と私が冗談で言った。

  以後彼は毎年釜山KBSで公演をしていつも売り切れだった。羅勲児がコンサート舞台にそのように力を入れた理由は彼が即ちコンサートの企画者であるためだと思う。 或る者はこう言うのだ。
“昔劇場でリサイタルをした時は歌手一人二時間公演したのに・・”
勿論こうだ。しかし劇場ショーとコンサートは根本的に違う点が一つ有る。 劇場ショーの費用が遥かに少なく上がるのだ。

  劇場の場合、既に作られた舞台に上がって2時間ずっと公演だけすれば良い。反面コンサートは違う。舞台だけ有って照明、音響、小道具等全て企画社の持分だ。費用が何倍もかかる。これが万一失敗した場合の負担が大きい。

  羅勲児がコンサートを成功させて以降多くの人が彼の後に続いた。中には案外成功した例も有るけれど失敗を経験した人もいた。私は公演企画社に関わったが数十億ウォンをふいにした人を沢山見た。このような人たちの内部事情がわかってみればコンサートがどれほど怖くなる舞台であるかを分かるようになるのだ。

  劇場舞台から出発した羅勲児は言葉通りコンサートのあらゆる事を自ら体得した人だ。もう一度言う羅勲児のショーは衣装と表情、声に局限された物が無く、小道具一つ一つまで羅勲児のオーラが強く及んでいる。
極端的に言って一度も公演しないで音盤を数十、数百万枚販売した歌手が有っても彼の歌手としての実態は何枚かの写真と音声が全部だろうが、羅勲児は歌は勿論小さな小道具まで彼のだと言える。

  歌手は歌だけ神経を使えばいい程度 だと考えることも出来るだろうが決してそうではない. 私は歌唱力よりむしろバンドの練習や音響、観客の没頭度を上げる舞台装置がより重要かもしれないと思う。
我々の伝統がそうだ。例えば一鼓手、二名唱という言葉が有る。鼓手一名が名唱二名に匹敵するというくらいで実際に合いの手をはじめ鼓手の役割が最大に出来上がらなくては公演の興が格段に落ちる。
鼓手の能力に対してもっと違ったパンソリ格言の中に
“少年の名画は有っても少年の名筆は無く、少年の名唱は有っても少年の名鼓は無い”
というのが有る。今式に置き換えて解釈してみれば歌手が成長すればする程、歌以外の多様な要素に気を注ぐようになるという意味でだろう。
つまり歌と踊りの他には伴奏音響小道具から化粧まで周囲からわかって全部して貰う幼いスター達とは次元が違う。

  羅勲児は絶え間なく自身を大きく広げて羅勲児スタイルを完成させた。いや、まだ完成ではない。彼が再登場したなら、もっと違った姿に変身して、より良いスタイルを披露するのだから。
私は羅勲児がカムバックすれば再びハンマーを握りそうに思う。彼の頭の中には歌だけでなく舞台のあらゆる事が全部入っている。どれ程沢山の事を構想して設計したか?その事を自身の心に叩き込んで実現させるには自分でハンマーを打つしか無いのだ。緊張とときめきが同時ににじみ出る羅勲児のとても力強い槌音が聴きたい。 (日本語訳:byおおきに2014.5.27)

【本文Part1-7a】

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