韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part2−2

牡 羅勲児

(おおきに注:1ページ省略)

 社会生活をしてみれば내(ネ:私がと言う時の私)が나(ナ:私はという時の私)で居れる瞬間がどれくらいになるか。
偽善ではないにしても自分の心を隠して泣いたり笑ったりする事は一つや二つでない。更には遊びでもナを捨てなければならない。飲みたくない酒を無理に飲む場合は日常茶飯事で、気に入らない場所へ引きずられることもいくらでも有る。
一言冗談で大笑いが起こるか起こらないかと云う事も、その冗談が面白いか面白くないかではなくてユーモアを言った人の地位に左右される。それこそ私が笑うから笑うのではない。

 このような面で羅勲児は伝説だ。羅勲児はいつ何処でも羅勲児だ。彼は何処へ出しても古かったり返答に窮することが無い。確かなカラーがある。単独コンサートでヨンヨン(永遠)を歌う時も歳月と関わらない羅勲児らしい姿を見せてくれる事は勿論、ポップスを歌う時さえも自分だけのトロット唱法でrとlの発音を自然に行き来する。

 歳月を無色にするカリスマと、変わりない羅勲児象徴の微笑、そして20,30年前の歌も昨日発表した新曲の様に歌うと云う姿に人々は不思議なカタルシスを感じる。大韓民国で羅勲児ほど自分のカラーをそのまま表す事が出来る人が何人いるか?
流行と新しい事に熱狂して時々刻々八色鳥(ヤイロチョウ)の様に色を変える韓国社会で彼の存在は確かに独歩的だ。

 一時うまく行った時節を歳月と共に全て離れて後輩達の様子を見て流行に遅れを取るのではないかと労心焦思する一般的な牡達とは遠く離れて伝説に残る彼だ。

(日本語訳:byおおきに2014.6.26)

【本文Part2-3】

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