韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part2−4

達人 羅勲児

(おおきに注:以下和訳省略していた原文27行分を和訳追加しました。緑字)

“クラシックはモーツアルトの時代に生きていたヨーロッパの人達の流行歌に過ぎない。今の流行歌と違ったところは無いと云うことだ。”
 キム・ヘス主演の‘タクト棒’と云う映画に出てくる台詞だ。聞いた時はもっともらしかった。 そうなんだ、クラシックの本質も結局は流行歌だね。
数年程はその言葉を完全に受け入れていた。
 映画で得られた‘常識’に亀裂が入り始めたのは 21世紀の有名なクラシック演奏者達がなぜ今も数百年前の流行歌レパートリーを繰り返しているのかと云う疑問がいきなり頭を打ってからだった。
流行歌歌手と芸術家の違いは?
 芸術は流行や時代の風潮などの言葉で説明するには難しい部分が多い。
芸術界には流行を超越したその何かを創造したり時代の流れを完全に ひっくり返す業績を残した人が少なくないからだ。
時代を飛び越える成果を出す理由は簡単だ。
‘真の天職は専ら自分自身に到達する事のみだ’
ーーヘルマンヘッセの「デミアン」より−−

  誰でもそうだろうが芸術家は特により一層‘自分自身に到達しなければならない’人達だ。
人気と言うコードに‘水準’を合わせて自分の実力に安住していたら 或る日消息も無く消えた芸術家は戦争が頻繁な国の未亡人程にありふれている。
この様な現象は大衆的な分野とクラシック全てに等しく現れる。

“我々は大衆の喝采と云うものを敢えてそのようにまで下げすんで 卑しく感じるのではない。
しかし大部分の芸術家が大衆の喝采の為に道を間違えるのは、 まだ余りにも若くて当然しなければならない思考と自己認識に到達できないうちに喝采を受けると特にこの様な場合やはり否定する事ができない。”
J.N.ポールケル著「バッハの生涯と芸術そして作品 」より


  人気に執着するかしないか、あるいは拍手と喝采に埋れて芸術的な旅を停止するかしないかと云う事は 人生の態度と直結されている話頭だ。

(以上和訳追加2015.5.10)

私達の時代の達人羅勲児

 中国の孔子は「論語」の中でいわゆる‘有名’を‘達’と云う単語と対比して説明した時が有る。
‘達人’の反対語が有名人だというわけだ。

(おおきに注:以下和訳省略していた原文15行分を和訳追加しました。緑字)

“‘達’と云うのは素朴で正直で義理を好み……名声と云うのは 表面的には仁と見せかけ行動はこれとくい違っていて・・・・”
ー<論語>顔淵20(孔子)

 有名ではあるが広く知られた事とは違って失敗した人生が有り、
たとえ名前を得ることが出来なかったと言っても立派な人が居る。
本質をなしている大切な部分は ‘その人が実際にその通りか’と云うことだ。
有名性だけを追う人と云うのはいつか表面に現れて見える所だけ夢中になるのであるが、 達を追い求める人は実際にそう成る為に努力する人たちである。
映画やドラマで“私は俗物です”と言って宣言する人がやはりどうしてもよく見えて 利権と権力を握り締めようとする人達よりずっと立派な人物として描かれるのもこのような理由からだ。
達を追求する人は絶え間なく前に進む。 才能でも徳でも少しだけ怠けてもまっすぐ衰落するからである。

(以上和訳追加2015.6.21)

 羅勲児は‘最高の人気’に「安分自足」しなかった。 “たかが大衆歌手、まあ、それぐらいでもいい”と 彼の席へ座り込んで彼を非難する人はいないだろうが 彼は最高の席でも精進を休まなかった。
‘自己の自信に満足する境地’に向かって前進するのだ。

 羅勲児は‘植民地を経験したアジア国家の大衆歌手’という 本心の憤りを克服する為にいつも努力した。
彼がデビューした時代に韓国‘ポンチャック歌手’等を悩ます文化的要素は大きく三つが有った。
‘タンタラ’とよばれた芸能人に対する軽蔑的な認識
トロットが日本の演歌と相違点が無いという偏見
英米圏大衆歌手と比べて野暮ったい、等だ。
彼は最高の歌手になってからも大衆の偏見を克服する為に 上記3項目の視角から完全に抜け出る為に血の滲むような努力をした。
知天命(孔子の言葉ー五十歳にして天命を知る)を越えても
‘私はただ単に平凡な歌手’と言って5,6時間のリハーサルを繰り返す姿勢を捨てなかった。

 大スターになった後でも相変わらず‘オタマジャクシの頃’の習慣を そのまま維持するのは本当に難しい。
このような絶え間ない努力の歳月を過ごした結果、彼はデビューの頃の一般的な蔑視から遠く外れた。
最高と云う‘名’に満足せず自身が考える最高の境地‘達’に向かって 進んだのだ。
それで彼の歌人生は今も現在進行形だ。

 名人は多いが‘有名’をものともしない達人は探すのが難しい世の中だ。
言行一致の人,即ち達人が稀な時代の為なのだ。
我々は芸能界で一番偉大な達人中の一人を失った。
人気歌手も多く、スターも非常に多いが達人は稀だ。
噂に釣られる言論界、根拠もない話を撒き散らしてまわった一部ネチズン達は 正直なところ責任になることを拒否している様子だ。
また、同僚歌手達と‘核心’ファン達もただ見ているばかりで彼を探しに出るには厳しい雰囲気だ。

 一時、‘達人を探して’というコントがチェジャンスコーナーで人気を集めたのは一つに 時代的隠喩ではないだろうか?
今は達人を探す時代だ。(日本語訳:byおおきに2014.7.24)

【本文Part2-5】

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