韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part2−7

羅勲児&南珍のようになりたければ?

 歌手毎に管理スタイルが有る。羅勲児は少し気難しい方だ。一度会おうとすれば障壁をいくつも通過しなければならない。 顔をしかめる人も多いが結果的にはそれが正しかった。

 他の方式で人気を維持することもできる。例えば‘南珍スタイル’だ。私は個人的に南珍スタイルも悪くないと思う。 南珍は生まれつき全て調和が良い。羅勲児は反対だ。二人の違いは同僚や先輩後輩の結婚式場の事でよく現れる。 羅勲児は度々出ていかない。祝儀はすぐ送るが本人が直接式場へ出て行く場合は殆んど無い。 片や南珍は気楽な服装で出て行って人々と握手をする。“来てたの?" 特有の人好きな話し振りと笑みで。 これは決してどんな‘振り’でもない。実際に人となりがこうなのだ。 後輩歌手達の中には大スターらしくなくて気さくな南珍が好きな人が多い。
 羅勲児の神秘主義に近い自己管理と、誰とでも優しく挨拶を交わす南珍、 両方とも従うのは容易では無いスタイルだ。

スター 種が別に有るのではない
誰かが羅勲児スタイルを倣おうとしたなら私は大歓迎だ。そのような歌手なら明らかに成功する可能性が高い。
少し前‘時計の針’で成人歌謡界からスターダムへのぼったシンユに会ってこんな話をした。
今は多様な催し場で公演をしていても時間をおいて羅勲児スタイルを取ってみるのはどうかな 、と。
私が見るにシンユは性格上南珍よりは羅勲児スタイルがより似合うようなのだ。 彼は心からのアドバイスに頷いた。

 私は彼の父シンウンとも知り合いだった。シンウンの故郷は漆谷ヤクモクで大邱と近い。 若い頃は大邱で舞台活動をしたりしたからシンユに格別な気持がするのは事実だ。
彼が心に決めた事をうまく実践して羅勲児のような大スターとして成功する様に願う。

  それなりに40年以上芸能界の挨拶に会って気付いたことが一つ有るのだが、 それは別にスターの種があるのではないということだ。
誰でもスターの様に演習をしてスターの様に身の振り方をすればスターになる。
私が若い人達に一番頻繁に引用する句の中に孟子の告子下編に出てくる話がある。
聖人になる道を教えてくれという言葉に孟子はシンプルな答を出す。

どうして耐えられないのだろうか心配ですか?
問題は自ずからそのようにしょうとしていないために有るだけです。
あなたが堯帝と同じ服を着て堯が書いた言葉を書き堯がとった行動を実践すれば即 堯のような人だ。

わかりやすく言って羅勲児のようにすれば羅勲児になれるのだ。
羅勲児もやはり生まれた時から非凡な面があったから自然にスターになったのではない。
彼は素晴らしい先輩方の姿をそのまま自分の人生の中で実践しただけだ。私はそう思う。

李ジュイルと羅勲児、お互いに会長さんと呼ぶ訳
羅勲児の見込みのある芽を早くからわかっていた人がいる。 即ち李ジュイル--1940~2002--だった。
李ジュイルが苦労しながら生きた話は大韓民国が皆知る事実だ。
一見外貌を始めあらゆる面で二人はお互いをとても似ているようには思わなかったようだが 事実はそうでは無かった。
二人はお互いに礼儀正しく‘会長さん’と云う呼称を付けた。 根気とプライド一つに粘り強く自分の立場を築く姿をお互い内心で尊敬していたようだ。

 李ジュイルが羅勲児をもてなしていた姿を思い出す度にスターはただ作られるのでは無いと云う思いがする。 こうした血の出るような努力で最上層の席へ立ち上がった彼だったので 今の状況がより一層切なく惜しい。

 偶然に運が良くて1,2曲のヒットを打った歌手なら良い運が全て出て行ったと言えばそれまでだが彼の様に残酷で不利な条件を乗り越えて立ち上がった歌手が予想外の難関に遭って苦戦する姿を見ると なかなか心痛む。 彼が早く以前の姿に帰って、人生が汗と真心を裏切らないのだと云うことを証明して見せればいいと思う。
羅勲児を慕うファン達も実際はこんな心が大半の様だ。
羅勲児のファンは何処かの普通の人か。 年齢的に海戦山戦空中戦まですべて経験した人生のベテラン達では無いか。 (日本語訳:byおおきに2014.8.27)

【本文Part3-1】

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