韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part3−1

(おおきに注:これまでは羅勲児さんのLPジャケットが殆どだったが、
この辺りからシンユの大きなスナップ写真ばかり。
これが羅勲児だったらいいのに残念。)

(おおきに注:以下和訳省略していた原文約3頁分を和訳追加しました。緑字)

シンユ,このごろ毎日羅勲児先輩に会います
“Aは私の人生のロールモデル(お手本)です”
<李キガン20歳歌手、ビスツのメンバー>
“私の未来のロールモデルは即、A先輩です”
<テミン17歳歌手、シャイニーのメンバー>
“同じ日同じ舞台に立って‘あの方’(A)が踏んだ舞台を踏みたい”
<テグン24歳歌手>

アイドルスター達が出演する芸能番組を見てみると時々照れくさいシーンに出くわす。
30過ぎの先輩歌手に極尊称を使い、人生のロールモデル云々と云う姿だ。
現在わずか30歳で大先輩とか人生のロールモデルだなんて・・・・
模範と指されている本人は光栄であるが、歌謡界ではない第三者からみれば普通では気味が悪いに違いない。
早ければ淡くて遅ければ厚い
歳が30で‘人生のロールモデル’になる現実は様々な事を考えさせられる。
何よりも所謂アイドル達の歌謡界がそれ程に淡いと云う事を示唆する。
A本人は音楽の知識が該博で深さが有るという評価を聞くとは言え、 それは‘歳に比べてそうだ’と云う意味が敷かれている。
囲碁界の格言の中に‘早ければ薄く遅ければ厚い’というのが有る。 (李チャンホ1999)
何でも長い歳月寝かせた事と短時間に作り出した事には明らかな差がある。
食べ物でも、3分程白い湯気をゆらゆら立てて食欲を刺激するファーストフードが 幾つかの季節を経て独特の味を付ける発酵食品と敢て肩を並べる事ができるか?
若いスター達がロールモデルになり早く成功した人達がまるで模範であるかの様なアイドルの芸能界は明らかに薄い世界だ。
アイドルが主導する歌謡界は成功と失敗、興亡盛衰の周期が余りにも短い。
歳月を降り注いだ芸技より短期間の成功を重視する風潮が広まる。 この様な雰囲気は当然早急症を呼ぶ。
‘早くのぼらなくてはならない’と云う気持ちだ。 それによる副作用は無数だ。 まず‘いっとき商売’の様な芸能界活動をする人があふれる。
キラキラ輝いていた女優達が人気が衰えてきたと思うと 皆ベッドシーンに飛び込むのももしかしたら早急症のせいかもしれない。
“芸人である事より俳優で有りたい”と云う告白は頻繁だが、 人気にこだわる姿を見ていればその言葉の真実性が疑心される時が多い。
この間、暴露したスポンサー問題も緊急な心理が呼んだ弊害だ。
‘コネ’を掴んで‘コネ’を使ってでも 腰を据えようと云うような意識の中には‘一歳でも若い時にぐっと 儲けておかなくては年を取れば冷や飯’という恐れが敷かれている。
言わば‘花無十日紅’だから、赤い花が萎む前に懐を暖かく満たそうという心理なのだ。
孔子は政治が何かと言う問いに、
“あまり早くしようと思わず、 小さな利益に注目するな。 早くしようとすれば果たすことができずに、 小さな利益に注目すれば大事を成すことができない”<論語・子路編>と言った。
アイドルが幅を利かせる我が国歌謡界に話題として投げればぴったり良い格言である。 30歳代程度は‘子供’で通る政界に置いてもゆっくり行きなさいと忠告するのに、 10や20代が主人公の芸能界はいったい何だろうか 一生匠人のように邁進する雰囲気が必要だ。

(以上和訳追加2015.6.30)

彼女の春は来なかった
 何年か前に亡くなった‘春の日は過ぎ行く’の白雪姫(ペクソリ)先生が一つの模範になるだろう。 この人は病床でも化粧するなど徹底して自己を管理した。又、子女達の芸能活動を積極的に押してくれる自己の生に対する誇りを表した。

 彼女が若い頃、歌手達はタンタラと呼ばれた。それでも彼女は一時期全国民を歌で癒したと云う事実に一生誇りを感じて生きていた。 そして若くて可愛い歌手 ペクソリより老いてまで誇りを捨てなかった芸人ペクソリがより尊敬を受けた。

 生涯自分の仕事に誇りを持って自分の発展に力を注ぎ込んだ人物について話をする時、外せない人は羅勲児だ。
彼のように徹底して自分を管理して命が切断される時まで歌を歌う勢いで生きている歌手も無い。
このような先輩が本当の人生のロールモデル(模範)だ。 生涯にわたって舞台を愛した人以外に誰が若い歌手達の典範になれるだろうか。

 芸能人達を眺めるメディアと視聴者の視野も変わらなければならない。
1980年代初め、羅勲児がカムバックした時、某新聞社で彼について激論が行われた。

新聞社創刊記念コンサートに羅勲児を舞台に立てようとする側と ‘いつまで羅勲児か’ と言って新世代歌手に歌わそうとする側が対立した事があった。結局羅勲児を支持する人が世代論に押されて白旗を上げた。 誰が正しかったかは数年後に自然に明らかになった。

 芸が優れていても、そうでなくても芸能人ならかつて活況を味わったが忘れられて行く或いはそれでも構わない職業という認識を持たなければならない。 全部ではないとしても生活の激しさという定規を置いて見た時、芸術家として待遇する必要が有る人は別に区別しなければならないという意味だ。

 だから彼らが成し遂げた様々なノウハウは次世代へ伝達する事ができる。 どんな文化も伝統と新しさが混ぜ合わせられなければ発展するのは難しい。 すでに優れた境地に達した人の技術を‘昔の’云々と言って死蔵させるのは困る。

シンユ、羅勲児に道を尋ねた。
最近トロット界から聞こえてくる喜ばしい消息に耳がハッとした。
シンユが公演映像などの資料を通して羅勲児を研究して自分だけの公演を構想していると云う消息だった。

 歌手の公演能力は人気と成功を決定する最も重要な要素だ。
無名歌手達はヒット曲さえ出せば全てが解決できたかのように考えるが、 ヒット曲が有っても公演が興味を惹かなかったら大きな成功やロングランは難しい。

 シンユからこの様な話を聞く事が何より嬉しい訳はまだある。 シンユの活動内容をみると,彼はいつも正統を追求した。今、成人歌謡界は言葉通りディスコ風一色だ。 反面シンユは‘眠れる公主’を始め最近発表した‘悪い男‘まで文字通り正統歌謡の味を最大に生かす曲を主として歌った。 出世曲である‘時計の針’は今明らかにするが、やはり彼の主流を成す曲とは雰囲気が全然違う。 正統を固守するシンユが大先輩羅勲児の公演内容まで取り揃えたならどんな実を結ぶか 既に今から待たれる。

シンユにかける期待
言葉が出たついでにシンユの話をもう少ししよう。事実、シンユに関して‘時計の針’がヒットした頃から 羅勲児を継ぐ大型歌手になるのではないかと云う控えめな観測が多く出てきた。
羅勲児が潜伏した直後にポッと大型ヒット曲だから更にそうだったのかも知れない。

 未熟感が有るものの、このような観測には一理がないでも無い。
シンユは少なくとも最近登場した若いトロット歌手とは明確に違う歩みを見せたからだ。
デビュー曲から人並外れていた。 シンユの初めてのヒット曲‘眠れる公主’はこの頃流行っている所謂セミトロットとは確実な距離を置いている。正統に近い。
専門家で無くても相当な内面と実力を持っている歌手だと云う事実をたちどころに気付くほど歌を上手く歌う。

 広く知られている通りシンユはメドレー4大天王中の一名人シンウンの次男だ。
シンウンは20余年前メドレー音盤を出し始めて10年余り、非公式集計ではあるが3000万枚以上の販売高を記録した。メドレー界の伝説だ。
他人の歌ばかり歌うのでは無く自身のヒット曲も有る。‘ムヒョ(無効)’と‘ヨンスジュン(領収証)’は今もラジオから時々流れ出るヒット曲だ。
シンユはこのような父の元で自然に基本の技を固めた。

 幼い時から音楽的な環境で育ったがシンユはその時すぐには音楽を志さなかった。
高校2年の時までサッカーをした。サッカーシューズを脱いだのは背丈の為だった。 高2まで背丈が163センチだった。皮肉な事にサッカーをやめた後、もう20センチ育った。
歌手として成功しなかった場合、途中で止めたサッカーが余りにも残念な事になっただろう。
サッカーはシンユの重要な音楽的な基礎の一つを形成した。即ち体力だ。
忙しいスケジュールを消化していくのは勿論、力強く伸びる歌声も全て体力のお陰だと見なければならない。 シンユの歌は精緻な発声を要する部分が多くてコンディションが悪ければすぐにしるしが出る。

運動体力が裏付けされていない場合、所謂‘ピープ音’が たくさん出るだろうと思う。
体力は大先輩羅勲児も最も重要に考える部分だ。羅勲児は公演を終えた日の夕方でもホテルでバーベルを持ち上げる程に体力管理を徹底していた。

(おおきに注:以下シンユについて3頁和訳省略)

(日本語訳:byおおきに2014.9.1)

【本文Part3-3】

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