韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part3−3

シンユ、‘弓の歌’を歌う歌手
  (‘縮み志向の日本人’を書いた)李御寧は‘デジログ’の中で朝鮮の文化と風習が取りも直さず今日の我々韓国人の思考と行動パターンに深い影響を及ぼしていると主張する。 キムチと箸、餠の中に今日の世界を充分に出入り出来る韓国人固有の情緒と長所が隠れていると云うのだ。

 羅勲児は自身のトロットを説明するのに、これと似通った例を挙げた。 “ともかくアメリカではポンチャックは絶対に生まれない。” と言い、その根拠として韓国人は歩いて行き来するがアメリカは土地が広くて馬に乗って往来するからだと言った。
クンチャッ、クンチャッと云うトロットの基本音は歩いて往来する時のリズムだという説明だ。 結論的にトロットが最も韓国的なジャンルだという話で、彼はここでもう一歩出て自身の唱法もまた我々の民謡からきたと言う。
‘アリアリアリラン、スリスリスリラン’がトロットの高音から低音に引き落とす唱法の根だという説明だ。 とてもわかり易い説明や例にまさかそうかと思うが反論しようとすれば城壁のように堅く倒すのが難しい。だから頷くばかり。

 事実、国楽人達も彼の言葉に同意する雰囲気だ。京畿民謡無形文化財チョスンジャ氏は 2003年放送の「私は生涯歌った」に出て二つの声を使用する唱法とシギムセのように音を震わせながら趣を出す技法などが民謡とトロット全てに出ていると親切に説明した事がある。

 羅勲児はトロットと演歌を比較する時も民族性を持ち込む。今も韓国のトロットを日本の演歌と同じジャンルだと思う人達(特に若者)が多いのでこれに反発する彼の説明は明快だ。彼は‘我々の歌には日本の演歌には無い大陸気質が有る。’ と断言する。具体的に説明すると日本には力強く伸ばす唱法がないというのだ。一般的に演歌は繊細で柔弱だがトロットは男性的だと見るので、これと一脈相通じる話だ。
羅勲児は即、その男性性を爆発させた張本人だ。

 演歌とトロットは‘日本弓’と‘朝鮮弓’との違いを挙げても説明できる。
我々は弓の民族である。よく知られているように中国では我々の民族を‘弓を上手く射る人たち’と云う意味が入っている「東夷」と称した。
西獄成龍(ソエ・ユソンリョン)は弓と朝鮮人の関係について“我が国の人達の才能や特技の中で最もすぐれている才能”だと自賛し、 李U(イイク)は“弓矢の鋭さが東方で最高だ”と評した。

最近面白い実験が有った。高麗弓と日本弓の射程距離の差を測る実験であったが、 結果は185m対80mで二倍を超える差が出た。 我々の弓が威力を遙かによく引っ張り伸びていく矢の強度が強かったのだ。
歌もこれと同じだ。演歌がチョゴンチョゴン囁くようだとすれば朝鮮の歌はやや拍子と引っ張る音が活気に満ちて用いられ、声を伸ばす形式が羅勲児が言うようにパァーッと伸ばすのだ。
虚空を分ける矢のように。

(おおきに注:以下18行和訳省略)

(日本語訳:byおおきに2014.9.6)

【本文Part4-1】

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