韓国の本【不朽の芸人・羅勲児】本文Part4−3

コァンテ(芸人)の条件を論ずる

歌手は歌唱力より‘人となり’が優先

 我が国で公演と関連した歌手(コァンテ)の資質を最もはっきりと定立した人は 申在孝ーー1812〜1884ーーだ。彼は‘コァンテ家’でこのように言った。

 “コァンテの世渡りは困難で又困難だ。コァンテというのは第一は 人となり、二番目はサソル(おおきに注:パンソリ用語らしい。漢字で書けば辞説。意味は台本、台詞、歌詞の内容等か?)、三番目はドゥクウム、そして四番目がノルムセだ。”

 このように申在孝は朝鮮コァンテの条件に四つを掲げた。 近頃の歌手として成功する条件と似ている。 それで、私は内容より順序に注目するべきだと思う。

 コァンテの最初の条件は人物だ。 歌手といえば歌唱力を思い浮かべる人が多いが申在孝は人物を 先に出した。実際この頃の歌手達の中にも歌唱力は良いのに外貌の為に 人情を受けられない場合が少なくない。 申在孝も“人物は天性だからやりくり出来ないから” と言って切ない心を表した。 しかし、人物を単純に外貌だけで見るのは大変だ。 ‘人物’には生まれつきの顔よりは‘人となり’の比重がより大きい。 多分申在孝は人物を言及しながら金ソウキを思い浮かべたのだ。 彼は辛任士禍を起こした奸臣モクホリョン(睦虎龍)を叱ったことで長らくソンビ達の称賛を受けた。 コァンテとしての人となりが何であるかを確実に見せてくれた人物だった。

 羅勲児も大衆歌手としての自負心、徹底した自己管理等で弐番目なら悲しい。 羅勲児を歌手でなく人間的な側面で好きな人が多いのもこのような理由なのだ。 シンユは歌手としての‘人となり’と関連する大きな試験台にまだ上がった事が無い。 しかしどこへ行っても礼儀正しく真っ直ぐだという話を聞く。 歌謡関係者とファンの中に彼を悪く言う人を見たことがない。 最近になって本も熱心に読んでいると聞いた。 絶えず自分を整えていく姿を見ていると大芸人として育つ可能性が充分に見える。

歌詞の内容がない歌は生かせない
 ‘人となり’の次はサソルだ。サソルはパンソリのサソルを意味するのだが、 歌謡に適用すればその歌を吸引力ある様に受け容れる様にするストーリーだと言える。
‘荒城の跡’ ‘哀愁のセレナーデ’ ‘木浦の涙’ ‘雨降る顧母嶺’ など我らの歌謡の不朽の名曲の中には歴史的背景を持っている曲が多い。
羅勲児の最高ヒット曲中の一つである‘故郷の駅’も1960~70年代産業化定着で 職を探して都会に来た田舎の若者の郷愁を刺激してその時代を ソックリそのまま反映している。 シンユの‘時計の針’も見方によれば単純な回顧談のようだが IMFとサブプライム事大等でくたびれた歳月を過ごしている4050世代の背中を叩いてくれる歌だ。 時代性の充分な支援を受けているわけだ。

 しかしサソルの元来の意味を問うて考えてみれば歌の背景よりは公演する時のコメントにより近い。 羅勲児の公演でサソルを除けば何が楽しみか。 シンユも即このような台詞に集注して先輩を研究しているようだ。 大先輩の深く広いサソルを会得すればシンユがどれほど更なる成長をするか、 もう胸がワクワクする。

(おおきに注:以下12行和訳省略)

(日本語訳:byおおきに2014.9.26)

【履歴-1】

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