羅 勲 児 VS 金 重 培 二人はどんな人?
私が選んで作る私 VS 私を削って作る私

韓国の本「사람 VS 사람」(本の表紙はこちら)
第十二章 221頁5行目から221頁22行目まで

 1981年、本格的に歌謡界へ帰って来た羅勲児は、その時から放送出演を自制して公演に力を注ぐ現在の‘羅勲児パターン’を定立していった。興味ある事は、カムバック後、時が経つほどマスコミとのインタビュー数や放送出演が徐々に減りながら現在と同じような公演を主とする方式に行き着いたことだ。

 もう一度言うと、大衆に認識して欲しい‘大韓民国 代表歌手 羅勲児’という目標を達成する為に自己決定権をますます強化させたということだ。自身が見せたい事だけ見せて完全に自分が統制できる状況だけで自身を現わすというわけだ。

 そのような面で‘羅勲児式自己決定権’は自分が規定した‘理想的自己’を目標に設定して他の主導権を完全に掌握したまま追いやる方式だ。
極端に表現すれば‘拷問者と非拷問者’の関係のように100%自己決定権を持っている人と殆ど無い人との関係を連想させる。
羅勲児を出演させたりインタビューする為に‘辛くてたまらないが’ぐっと耐えて彼の指示を待ってみた経験があるプロデューサーや記者達は、その例えの語意をすぐ理解できるだろう。
それにもかかわらず、幸いに羅勲児はその長い歳月を通して大衆が容認する事が出来る位の水準で適切に自己決定権を行使した。このような点で大衆芸術家として羅勲児の感覚は卓越して偉大だ。

(日本語訳:byおおきに2010.3.29)
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