羅 勲 児 VS 金 重 培 二人はどんな人?
私が選んで作る私 VS 私を削って作る私

韓国の本「사람 VS 사람」(本の表紙はこちら)
第十六章 224頁15行目から225頁18行目まで

 羅勲児が‘休止期’を持った重要な理由の内の一つも‘事業をしてみたかった’という個人的欲望の為だったが彼は芸能界に戻った1981年以降も事業をしたいという話を何度も繰り返した。

 1980年代の初め頃、雑誌とのインタビューで羅勲児は“今も私の本棚には「経営学原論」「ビジネスウイーク」のような本が置いてある。勉強して世界を行き来して事業をしたい”と言った。

 1980年代後半の或るインタビューでも、自分は15年前からAFKN(おおきに注:日本のAFNにあたる駐韓米軍放送)を見て英語に慣れて、「私は事業が良く合う。今度お金を稼いだら絶対に貿易業をしてみたいね」と、内心を打ち明けた。自身の歌手生活を‘とてもたくさん’後悔しているという告白も何度も出て来る。
主にこんな内容だ。

 “常に後悔の中で生きて来ました。知らずに歌手生活を始めました。性格的には全然歌手に合わないです。今になってこの仕事を止める事も捨てる事もなくて、いずれにしてもやる事にベストを尽くすけれども、生まれ変わっても絶対に歌をやらないです。”
それだけでなく、男は永久職を選ばなくてはならないから、芸能人は永久職業では無いので歌を止めて人間「崔弘基」がすべき仕事をしようという覚悟を固めると言ったりする。勿論、人間「崔弘基」がすべき仕事というのは事業だ。

 大韓民国最高歌手という評価を受けても今まで事業に対する未練を言う羅勲児をみれば、我々のような普通の人々の立場には、頂上に立つ者の贅沢な傲慢さが感じられる時がある。
嫉妬心みたいに言うなら、このようなことだ。
全力を尽くして飛びかかる相手方を軽く倒して“私は片手だけ使ってもこのくらいだ。さて両方の手と足を全部使えばどうだろうか?”と言えば地面に伏す者の心情はどんなだろうか?

(日本語訳:byおおきに2010.4.25)
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