名誉の殿堂(歌手部門)インタビュー

以下の記事は韓国の「月刊朝鮮」新年号(*2002年)記者インタビュー記事「呉效鎮(オヒョジン)の人間探検」の日本語訳です。
(全文を日本語訳するにあたり中村**子さんにご助力いただきました)
原文はこちらですがページが更新された時は見られなくなります。御了承下さい。

(IE4以降)

(1)私は歌がうまくないから一生懸命に歌う

【 記者 】--羅勲児氏(本名、崔弘基、チェホンギ、54歳)別名は「トロットの皇帝」だという話しをよく繰返し聞いてきて、私(記者)の思うには、彼がどこかで必ず皇帝の様に装っているようだった。しかし、彼はソウル竜山区梨泰院にある、小さくて まあまあの3階建ビル(訳者注:一部3階建)のてっぺん事務所に極、普通の人の姿で座っていた。
彼は黒い服を着ていたが、赤いTシャツでさえなかったなら、ただ目が大きくて眉毛が濃く、あごひげが白髪、少し変わっている普通の人というだけで、芸能人というふうには思えない感じだ。

事務所には白いピアノが一台置いてあった。又、彼の机の横にはギターが5、6本立て掛けられてあった。
この様な物が彼が音楽をする人である事を教えてくれた。
しかし、彼の部屋はあたかも I T会社のCEO事務所のように仕立ててあった。
事実、彼は音盤業界では芸能人ではなく「チェ会長」として通じるという話しだ。
この場所が彼の事業を総括する「我羅企画」会長室だった。

カーテンが引かれていない明るく大きなガラス窓に、午後の陽射しが燦燦と降り注いで来て、彼の上半身に味わい深いハイライトを作っていた--

--彼がまず、口を開いた--

【羅勲児】:私がどんな話の種になりますか?

なって、且つ、余り有るでしょう?非常に特別な方ではありませんか?

--彼はこの言葉に、すぐ、反撃をした--

いいえ違います。私は絶対に特別な人ではありません。極、普通の人です。例を挙げれば、

--ここから、話はそろそろほぐれていった--

地方に公演に行くと、歌手達は殆ど練習をしないそうです。私はバンドがほとんど死にかかる程、練習します。すると、バンドの人達が「他の歌手達は楽譜だけ持って、そのまま、舞台に登り、そのまま、始めるのだが」そうか、それなら、私はこう言います。「おまえ達、そんな歌手達は歌がうまいからそれでもいいが私はうまくないから練習しなければ!」そうしなければ、どんな声も出せない。こういう具合だから、私は普通の人だという事です。特別な人でなどありません。

--こんなふうにして、羅勲児氏がここまでになったと思った。そうであっても、ちょっぴり、剛気に見えた。事実、彼らの言う事も合っている。夜昼することだから、其の人達は目を閉じてもやれる筈だが、ね--

楽譜を読んでメロディを演奏するぐらいの事は高等学校のバンド部でも出来ることですよ。メロディの後ろに在る物を読んでこそプロフェッショナルです。心から音楽をやる人達はメロディの後ろに在る物を読んで練習しなければなりません。それで私は練習をするとき「私はここで、このように歌うから、ここはこのようにしてくれ」と言って、合わせます。

羅勲児氏もこのようにたくさん歌えば練習することもないでしょう?

いいえ、率直に申せば私が35年間歌ってきても以前に歌った歌は本当に判らないのです。今も私が確実に判っている物ではなくて、今しがた知り始めた段階です。

--私は羅勲児氏に会いに来ながらも、彼が成功に陶酔する横柄な芸能人なら、どのようにして始めるというのか、少なからず心配をした。しかし、ここまで聞いてみると、間違っていたと思った--

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