名誉の殿堂(歌手部門)インタビュー

(IE4以降)

(3)「ポンチャック(韓国演歌)は永遠だ」

【 黒字:記者 】今朝、MBCテレビをみたら、「GOD」と一緒に出演されていたのですが、最近の若い人達の歌に対してはどう思われますか?

緑字:羅勲児】一応これも一種の歌です。これを否定してはいけません。これは悪い、と評価するのはいけません。流行歌とは何ですか?流れ行く歌です。流れ行く歌の中にこんな歌もあるということです。

それなら、最近の若者達が、50、60歳頃になった時も、この頃のこんな歌を歌って喜ぶのでしょうか?

そうではないでしょう。私がディナーショーをすればチケット(一枚、普通15万ウォン)が3日以内に完売します。何故そうなのかご存知ですか?いまだに、ポンチャック、これが力が有るという事です。ポンチャックは永遠です。最近の若い人達も会社に入ればカラオケに行って、どんな歌を歌うのかご存知ですか?ポンチャックを歌います。若い人達は暫らくはあのような歌を歌っていますが少し年をとれば、「ヨンヨン(永遠)」「ムシロ」、と、このような私の歌に戻ってきます。私が今日、このように生きている理由が何だと思われますか?ポンチャックが生きているためです。

--ポンチャック論は続いた--

我々の歌がポンチャックであるとしか言いようの無い必然的な理由が有ります。我々はお箸を使う民族です。ご飯を食べてから、あるいはお酒を一杯飲んでから、気分が良ければ箸を叩いて調子を合わせます。これ

(実際に手で調子を取って)

に一番良く合うリズムがポンチャックです。ご飯を食べたらお腹もふくれて、酒も一杯飲めば気分いいでしょう?そして調子に合わせてくちずさみつつ歌うわけです。このことがまさにポンチャックなのです。

--話がアメリカへ飛び越えた--

アメリカではポンチャックは生まれて来れません。アメリカの人達は土地があまりに広いので馬に乗って駆け回るでしょう?それで馬の背でひずめのリズムに合わせて歌います。トッ、トッ、、トッ、トッ

(歌を歌って)

「アイ ウォノ ゴー ホーム・・」これがアメリカポンチャックです。反面、我々は歩き回りました。歩き回る時のリズム、これが又、取りもなおさず、ポンチャックです。

(手拍子でリズムをとりつつ)

「コンチャッ、コンチャッ、コンチャッチャッ、コンチャッ・・・」
ところで、今は家を持たなくても車は持っているという時代になりました。だから、我がポンチャックも変化しています。今のリズムは早くなっています。自動車の平均時速が40キロなら、車を走らせながらカセットを聞く時、その速度に合ったリズムにならなければなりません。だから、ちょっと早くなったり、でなければ、完全にのろくなったり、

最近の「ラップ」に対してはどのように思われますか?

これを我韓国文化だとは云えないでしょう。アメリカから渡って来たものでしょう。今、我後輩達がやっている音楽に全く問題はないとみます。ただ単に一部、大部分が外国へ行った若者達がそのような音楽をやっています。
我土地に生まれて、「テンジャンクック(唐辛子スープ)」を飲んで我々の情緒の中で暮らしつつ、このような音楽をするのは、もっとよいでしょう。
だが、外国で暮らしてきて言葉も良くわからない若者たちがこのような歌を歌って今の若者たちの音楽の主流を成している、そういうことです。

それが若者達から盛んになって又それが東南アジア、中国に行き「韓流」熱風を起こしているいるではありませんか?

だから、それ(ラップ)が米国の物なのだからでしょう。事実我リズムなら東南アジアで盛んになり難いでしょう。

詩も書かれますね。

ああ、これは詩というよりはメモのような物です。私が作曲をするじゃないですか。曲には必ず詩があります。良い詩はその中にメロディが入っています。作曲家が曲を創るのではありません。その詩の中にあるメロディを引き出すことです。

どんな時にメモしますか?

私は心が安らかで幸福な時は考えが出てこないのです。体と心が大変な時、いろんな思いが出てきますね。幸福だった思い、辛かった思い、・・・だから思いもしない文が書けるようになります。
今も私の車の中にギターが有ります。本も10冊以上持って、行き来に見ています。
夜に釜山で公演が終われば車で( ソウルへ)戻ってきます。公演が終われば疲れているでしょ。それで車で帰って来ながら外を眺めれば窓の外が其の侭詩になります。星も有りますね、川が流れていますね、風も吹いていますね。あの山へ登った思いでもありますね。その先の方の事が更に見えてくるらしいですね・・・車窓の外に辛かった思い出、良かった思い出も有ります。それを受け入れることですね。その時に文に書くことです。そしてその場でギターを弾きながらその中にはまり込むのです。このようにして一曲作ることになります。

--このように話しながら、彼はやや分厚い小さなノートを見せてくれた。
私は「その中のメモされた歌詞を一つ見せて欲しい」と言った。そうすると彼はギターを取ってきて弾きながら、最近作詞作曲した「空ーくう」と言う曲を歌ってさえくれた。
その歌詞は「生きてみれば判る様になると言わないけれど、お前も私も皆おろかだということを・・・」と始まっていた。曲は少し速く、歌い方は羅勲児流でさっぱりと出だすが、急に低くなったり、高くなったり、又とても力強く伸びていったりした。ヒットの予感が湧いた--
「この世に一人だけ、二人といない私の女よ」という「サランー愛」と言う歌は作詞作曲どちらもされたでしょう?

そうです。これは夜寝ていて3時頃、起き上がってたった5分で創りました。自然にすぐ、詩と曲が出て来た時があります。

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