名誉の殿堂(歌手部門)インタビュー

(IE4以降)

(13)「韓国・米国・日本に充実した会社、財産数百憶ウォン」

緑字:羅勲児】我が社は小さいです。しかし、とても堅い会社です。この間のIMF危機の時も私達は何の心配もありませんでした。会社が仕事を大きく拡げていたら、危機が来た時、どんな仕事がひろがりますか?それで私は始めから圧縮させておいたのです。

黒字:記者】職員は?

五人しか駄目です。私達がする仕事を他の会社のようにするとすれば100名余り居なければなりません。私達がレコード会社をキチンとするとすれば、CDとカセットテープを作る工場が無ければなりません。そこだけに80〜90人が要ります。それに役職、販売職を合わせれば100人以上が必要です。ところが、我々は音盤を作る事をオアシスレコード、亜細亜レコードなどに賃加工で注文しているのです。
一番気をつけることは人を使うことです。人を沢山使うのはビジネスでは零点です。危機が来れば大事が生じます。また、はっとすれば「羅勲児会長出ろ ! 」と、騒動に役職ならどんなに頭が痛いことですか。
賃加工を任せる前に私達が基本的な政策をするのですが、この時には人は沢山必要ないですからね。録音室も借りてやります。こうして作ったのをレコード会社に持って行ってCDを作ってくれというのです。それで、一枚につきいくらと値段を付けるのです。
この様にすると、例えて、一ヶ月に一億ウォン儲けるのを、賃加工に出した為7千万ウォンしか儲けられない。けれども、3千万ウォンの代価に私達はIMFも心配無く、「会長、出ろ!」と言う事も無いのです。

ここでは羅勲児だけを出すのですか?

そうです。私のだけ出すけれども、私共は大きいレコード会社が持っている市場よりもっと大きい市場を持っています。全国に32ヶ所の問屋を持っています。大きい会社は寧ろ28ヶ所しか持てません

羅勲児さんの収入の内、歌を歌って入るお金とレコードの事業をして入るお金とで、割合はどうですか?

似たようなものです。

--私は口がふさがらなかった--
今、アメリカにも事業体が有りますか?

ハワイに貿易会社が一つ有ります。音楽とは全然関係無い会社です。

日本には?

日本には「我羅企画」と全く同じの「ソウルミュージック」と言う会社が有ります。そこも現地職員が四人いて、私の歌を日本語で出して流通する会社です。

ーー羅勲児は日本にも進出して大きく活躍した。彼が日本に第一歩を踏み出したのは1985年だった。その後94年に彼は日本人が作詞作曲した「忘却雨(わすれあめ)」を出して、日本歌謡界に本格的に進出して、日本の歌と彼の国内ヒット曲(翻訳曲)をたくさん出した--
日本でも韓国でのようにヒットしましたか?

ヒット出来ませんでした。それでも損害を被るわけではありません。私が放送もコンサートもしないから、ヒットしがたいのでしょう。

--彼の財産は正確にいくらと言えないくらい大きくなったが、周囲では見積もっても数百億ウォンは超えるということだ--
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