名誉の殿堂(歌手部門)インタビュー

(IE4以降)

(4)李美子がいて幸せ

黒字:記者】李美子さんはどう思いますか?

緑字:羅勲児】あぁ、あの方がわが大韓民国にポンチャック歌手としていらっしゃるという事を思うと、本当に幸せですね。あのような方々がいらっしゃらなければ韓国の歌が整理つかないです。
女性が歌うポンチャック、それはそのまま、李美子スタイルだと思います。
男性が歌うポンチャック、それは其の侭羅勲児に似なければならない、ハハ・・・・・
(笑)。
裏返して、折まくって、全部そんなのではないですか。(おおきに註:裏声やこぶしのことか?)

それでは羅勲児以前は?

私が出てくるまえには裏返し、折って重ねる(まねをする) 事は無かったです。
(歌を歌う) 「♪♪街は歌う、歓喜に照らされ・・・・、又離れると恋しくて、逢うと萎んで・・・・♪♪」。
このようにおとなしく歌いましたね。
私のように、「♪♪カジマオ〜、カジマオ〜〜〜〜〜♪♪。」この様にたたみ込む事が無かったのです。

オ、〜、歌を聴いたら、その前とすごく変わってきましたね。

そうでしょう。私からが大きな転換点になったでしょ。

それでは羅勲児唱法はどこから出て来ましたか?

私は幼い時から民謡が好きでした。
母が私の手を取って、民謡を歌う時しょっちゅう連れて行きました。
その時この様な歌い方が体に染みたようです。
たたみ込む歌い方が民謡に出てくるのです。
御覧なさい。「♪♪アリアリラン、スルスリラン・・・♪♪」
こんなのが全てたたみ込む唄い方ではないですか。

最近、ヒョンチョル、テジナ、ソンデガンの三名がライバルでないのに、ライバルのようにしながらトロット復興運動をしているようですが、どう思われますか?

あの人達も人気が有るからですよ。
人気はそのまま貰う物ではありません。我々はポンチャックをその場に滞らせては駄目です。
あまり先に行ってもだめだし、ひとあしだけ、すっと前に行かなくてはなりません。

--(彼のポンチャック論は続いた)--

ポンチャックはキムチのようです。私たちはキムチを食べないと生きられないです。ポンチャックが無くても生きられないでしょ?
私が日本に行ってこう言います、「韓国演歌はキムチだ、日本演歌は沢庵だ」
すると、人々は笑います。大衆歌謡が我々庶民の心を歌うので、簡単に表現することは難しいが、歌というものは気候、人間性、地域的条件、食べ物、この様な物に伴なって違ってきます。
我がポンチャックと日本の演歌は互いに似ていて区別するのが難しいです。しかし、我々の歌の中には日本と違う確かな一点が有ります。大陸気質です。日本の歌にはそれが有りません。

羅勲児さんの歌の中のどんなところが大陸気質ですか?

「♪♪ノッスルンキーチャギラ〜♪♪」と勢いよく伸ばすのですが、日本の歌にはこの様なことが有りません。そのまま置くかふわっと渡ります。
日本の歌手たちは韓国に来て絶対ヒット出来ません。くすぐったいです。あの人達の音楽の流れは海の波のようです。

しかし我が国の歌手達は日本に行ってヒットすることが出来るのですね。

それも難しいです。

キムヨンジャさんがいるではありませんか

キムヨンジャさんもヒットは出来ないです。
ショーの舞台を持って回るようです。
それでは「釜山港へかえれ」「カスマプゲ」は何故日本で歌われるのか、それはこちらでヒットして渡って行ったものです。日本の「演歌」を韓国の歌手が歌ってヒットすることはほとんど不可能です。

羅勲児さんも日本に行ってそれを試されましたか?

しましたよ。しかしとても難しいです。私が持っている大陸性気質を歌で聞いて「うあぁ、すごい!」という事は出来ても、胸に迫ることは無いからです。
このことをたやすく判断して飛び付いては大変なことになりますよ。

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